殿と大地之助 9
「あ〜あ、びしょ濡れになってしまったなぁ」

 中条は、水撒きの際に大地之助に水を掛けられ、それを含んで重くなった自分の着物を見て苦笑した。

「へへへ…ごめんね」

 大地之助はいたずらっ子のように舌を出して謝る。

「大地之助殿がひしゃくを持って放さないから…」

 五代も中条と同様に、頭から足袋までぐっしょりと濡らし、水滴を顎から滴らせながらクスクスと笑った。

「僕はこうやって着物の裾持ち上げてたから大丈夫だったよ♪」

 大地之助はそう言って、帯にたくし上げた着物の裾をぴらぴらとめくる。

 少年特有のスラリと伸びた美しい脚を改めて見せられ、中条と五代はドギマギして顔を赤くした。

「わっ…私達は着替えてくるよ」

「うん。楽しかったね!2人ともありがとう」

 大地之助はニコニコと笑って、城の中へと戻り、中条たちと別れて殿の部屋へと向かった。



「あぁんっっ!殿ったらぁ…」

 江田と田崎の耳に、霧乃進の過剰とも言える喘ぎ声が聞こえる。

 殿に命ぜられたとはいえ、ここで大地之助が来ぬよう見張っているのは、なんだか大地之助を裏切っているような気分になり落ち着かなかった。

 江田が内心ため息をついていると、隣の田崎の様子がおかしいことに気づいた。

 思いつめたような難しい顔をして、拳をブルブルと震わせている。

「気分でも悪いのか、田崎…?」

 不審に思ってこっそり田崎に声を掛けると、低くうなるような声で田崎は呟いた。

「…どうにも我慢できぬ」

 そう言って勢いよく立ち上がった田崎は、外の廊下へ飛び出した。

「お…おい、田崎っ?」

 殿に気づかれぬよう、声をひそめて江田は田崎を追った。

 田崎はそれに全く構うことなく、ズンズンと廊下を進んでいく。

「田崎…どこへ行く!!」

 江田は小走りでやっと田崎に追いつき、肩をつかんで自分に向きなおらせた。

「どうした田崎。何のつもりで…」

「あのままあの部屋で2人の番をすることがどうにも堪えられぬのだ!!」

 田崎は苦々しい表情で思いをぶちまけた。

「江田もそうであろう?私達は大地之助殿が好きだ。殿に愛され、そして同じように殿を愛しているお2人を心から応援している。

それを、横山が連れてきた訳の分からぬ坊主と殿があんなことになって…大地之助殿があまりにもかわいそうだ!!」

 田崎がくやしさに震えながら言った今の心情に、江田は返す言葉がなかった。

 自分も全く同じ気持ちだったからだ。

「…今から横山達を探して、番を代わってもらう。江田もそれでいいでござるな?」

 固く強張った表情のまま歩を進める田崎を、江田は慌てて引きとめた。

「ちょっ…ちょっと待て田崎。殿が命ぜられたことに背くのは御法度だぞ」

「だがしかし…!」

 殿の言われることは絶対だ。勝手に家臣達がどうこう言って変えることは許されない。

 田崎はそれを充分に分かっていて、それでもこうして背いてしまおうという程、大地之助を大切に思っていることは江田も痛いくらいに理解した上で告げた。

「…私も田崎と全く同じ気持ちだ。仕方ないとはいえ、あの場にいるのは大地之助殿に対して申し訳ない気持ちになり、心苦しい。

しかし、こうしているうちに大地之助殿が部屋に来られたりしてみろ」

「……!!!」

 田崎はグッと息を飲む。

 自分が部屋を飛び出した時には、庭にいる大地之助の声はもう聞こえなくなっていた。

 ということは、城の中に戻っているということだ。

 江田は諭すように優しく田崎に話を続けた。

「殿に言われたとおり、私達は番をするしかない。大地之助殿は本当にお気の毒だが、知らぬほうが幸せということもあるのだよ。

大地之助殿が大事だというのなら、悲しませぬようにするのが我らの仕事だ。な?」

 田崎はしばらく落ち着かない様子で視線を廊下に落としていたが、江田の言葉にゆっくりとうなずいた。

「…ああ、分かった。大地之助殿のことを想うとな…」

 江田は田崎の背中をやんわりと撫で、2人で殿と霧之進のいる部屋へと戻った。



 江田と田崎が城の廊下で話し合っている時、すでに大地之助は殿を探して部屋の近くへ来ていた。

 自分が外で遊んでいる時に、そんなことが起こっているなど全く知らない大地之助は、部屋の障子が中途半端に開いたままになっていることに気づいた。

(殿…ここにいらっしゃるのかな?)

 中を覗いてみると、誰もいない。

 家臣の姿がないことから、どこか別のところにいるんだろうか…と大地之助がキョロキョロしていると、その奥の部屋から何者かの声が聞こえてきた。

「ぁ…うふふっ…殿っ…」

 それは聞き慣れない子供の声。

 大地之助がこの城に来て以来、大人以外は見たことがなかった為、不思議に思った。

(誰なんだろ?殿って言ってたし、ここで何してるのかな)

 大地之助は軽い気持ちで障子を開けた。

「!!!!!」

 その目に飛び込んできたもの。

 それは、見知らぬ子供の脚の間に顔を埋めている殿の後ろ姿だった。

 座卓の上に座らされた自分と同じ年ぐらいの男の子が、着物をはだけてクスクスと笑いながら、殿の愛撫を受けている。

(な…に…?これ…)

 あまりのことに、大地之助は声も出せず、その場に凍りついてしまった。

 殿に抱かれている少年は、何か視線を感じて薄く目を開く。

 そして大地之助と目が合うと、ニヤリと勝ち誇ったように笑いかけてきた。

(……っっ!!)

 大地之助は胸に強烈な痛みが走り、いたたまれなくなった。

 静かに障子を閉め、震える脚をどうにか進めてその場を離れた。

 田崎と江田が部屋に戻り、再び番の仕事に就いた時には、大地之助は全てを見てしまっていた。



(い…今のは一体…?あの子供は誰…?)

 大地之助は、混乱する頭でフラフラと当てもなく城の中を彷徨う。

 あの後ろ姿は紛れもなく殿だった。

 いつも一緒にいて、何度も抱かれた殿を見間違えるはずがない。

『大地之助…私は大地之助が愛おしい』

『愛してる』

『ずっとお前を大事にするよ』

『私にはお前しかいない』

 …殿から囁かれた数々の甘い言葉。

 それを思い出し、大地之助の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。

(殿…あれは嘘だったの?僕は今まで一体殿の何だったの…!?)

 殿を責める言葉が次々と頭の中を駆け巡る。

 ふと気がつけば、城の庭に出ていた。

 人気のない蔵の前に座り込み、一人泣いていると、いきなり蔵の扉が開き何者かに口を塞がれて、強引に中に引きずり込まれた。

「……っっ!!!」

 突然真っ暗闇の中に閉じ込められて、大地之助は怖ろしかった。

 自分を捕らえている人物はどうやら男のようで、身体つきはかなりがっしりしていて身動きができない。

 すると、ボゥッ…とろうそくの灯が2つ浮かび上がった。

 それを持つ人影も、着物や肩幅から男だということは分かったが、顔は各々布や仮面で隠されていて、誰かというのまでは識別できない。

「…っだっ…誰だよ、何するんだっっ!!」

 口にあてがわれた布がはずされると、大地之助は叫んだ。

 身体は相変わらずガタイの良い男に取り押さえられたままだ。

 仮面をつけた男がグフグフと笑いながらゆっくりと近づいてくる。

「誰でもいいじゃないか」

 大地之助は、その声に聞き覚えがあるような気がした。

 だが、それが誰のものかは思い出せない。

 殿と子供のあのような姿を目撃した上、こんな不気味な連中に囲まれて、大地之助の思考はものすごく混乱していた。

 実は、この男たちは横山、室井、桜田の3人だった。

 殿に霧乃進をあてがって、その隙に憧れの大地之助を輪姦しようともくろんでいたのだ。

 仮面をつけた横山は、口の端を歪ませて笑う。

「大地之助殿、少しの間我々のお相手をしていただけるかな?」

「相手って何を…」

 この何者か分からぬ男達の明らかに不穏な様子に、大地之助は言いようのない不安に包まれる。

 布の間からチラリと見える目は、どいつもこいつも怪しい光を放っていた。

「こういうことサ」

 横山はそう言うと室井から大地之助を受け取り、床に押し倒した。

 そして着物を乱暴に開く。

「っっ!!!」

 大地之助は肩を露出させられて、声にならない悲鳴を上げた。

 今からこの男たちが自分に何をしようとしているのか、たちまち理解した。

「いやだっ!!」

 真っ赤になってジタバタと暴れる大地之助を、男たちはいとも簡単に押さえつける。

 3人はそれぞれ視線を交わして、低く笑い合っている。

「逃げても無駄さ。これは殿がお許しくださったことなんだ」

「殿が!?」

 大地之助はグッと息を飲んだ。

 あの優しい殿が、自分の意思を無視してこんな目に遭わすなど考えるはずがない。

 …だがすぐに、先ほど子供にむしゃぶりついていた殿の姿を思い出した。

「殿が今何してるか知ってるかー?」

 横山の後ろにいる、小柄でやや太っている男、桜田が大地之助の顔を覗き込む。

「おい、言っちゃいけないって言われただろーが」

 筋肉質で大柄の室井が制しても、桜田はヘラヘラと笑って続けた。

「いいって、いいって。今な、殿は小姓志願の霧乃進って坊主とまぐわってんのよ。その間、お前に見つかっちゃヤバイから、

俺たちにお前を引き止めておくよう頼んだのさ」

 目の当たりにしても信じたくなかった殿のあの姿。

 それを実際人から口にされ、大地之助は辛くてうまく呼吸ができなかった。

 横山は冷静に大地之助を見下ろす。

「その為には大地之助殿に何をしてもいいとおっしゃったのだ。自分も霧乃進と楽しんでいるから、お前たちも大地之助の身体を

たんまりと味わえば良い、とお許しくださった」

 大地之助はそれを聞いて、頭を何かで思いきり殴られたような衝撃を覚えた。

(殿がそんなこと…嘘だ…嘘だ!!)

 涙が自然に頬をつたう。

「だから、殿のお言葉に甘えてさせて頂こうと思ってな。大地之助も殿だけではなく、色んな男に抱かれてみたいと密かに思っていたのではないか?」

 そう言って横山は大地之助の帯に手を掛けた。

 だが大地之助は、たとえ殿がそう言っていても他の男に触れられるのは我慢ならなかった為、力いっぱい脚を蹴り上げた。

「ぐわっっ!!」

 膝が横山の腹に綺麗に入り、ひるんだ隙に大地之助は必死で男達の腕から逃れた。

「あっ!!こら待て!!!」

 蔵の扉に後ちょっとで手がかかる、という瞬間、大地之助は室井に着物の袖を掴まれて、思いきり壁に投げつけられた。

「ぅっ!!」

 小さなうめき声を上げ、大地之助はずるずると床に崩れ落ちた。

 横山は腹を押さえて咳き込み、室井に注意する。

「ぐふっ…おい、怪我はさせるな」

「ちっ、ガキだと思ってナメてたぜ」

「でも〜、いい具合にぐったりしてくれたよ」

 背中をしたたかに打ち付けられて、痛みのあまり虚ろな視線になりながらも懸命に立ち上がろうとする大地之助を、男たちは再び組み敷いた。

「は…なせっ!!放せぇ!!!」

 必死で暴れようとする大地之助の顎を横山は掴み上げる。

「逃げても無駄だと言っただろう!?」

 横山の力はものすごく、大地之助の頬に爪が食い込んだ。

 その痛さに、大地之助はギュッと目をつむる。

「大地之助殿の麗しいほっぺに引っかき傷ができちゃったじゃねぇか。怪我させんなって言ったのはお前だろ?」

 厳しい視線で大地之助を見据える横山に、室井は不服そうに訴えた。

「これは二度とふざけた真似ができぬよう、教えこます為だ」

 横山はフン、と鼻を鳴らして答える。

 桜井はゲヘゲヘと下品に笑った。

「教え込ますといえばー、大地之助殿には本来男の欲望がどういうものか知ってもらえるいい機会だな。殿はお優しいからいつも大地之助殿を

そんな風に抱いているだろうが、俺たちは違うぜぇ?」

「ひひひ…そうそう。案外これのほうがいいって思うかもな。ああ、殿が夢中になってる身体を味わえるなんて夢のようだよ」

 室井はうっとりしながら大地之助をいやらしく見つめる。

 下卑た言葉を吐いて、6本の腕が大地之助に伸ばされた。