殿の誕生日 12
 大地之助の様子がここ最近おかしい。

 殿は交われない欲求不満の日々の中、悶々と考えていた。


 夜、自分を待てずに寝てしまったり、何とか起きているかと思ったら布団に入るなり眠ってしまったり…。

 大地之助が夜伽をするようになった後、そうならぬように未の刻に昼寝の時間を設けていたというのに。

 あの頃はこんなことなどなかった。ただし、ここ数日の様子から、極度の睡眠不足であることは間違いない。


 昼寝をしていないのだろうか。それはなぜ?その時間何をして過ごしているのだ?


 殿は大地之助が一日どのように過ごしているのか、江田と田崎に調べてもらうことにした。


 昼食が終わってしばらくみんなと談笑した後、殿は仕事のため部屋を出ていった。

 その時江田と田崎を見つめて、殿は無言でうなずいた。二人も同様に殿の目を見て、力強くうなずき返す。


 仕事へ向かう殿の背中を見届けた大地之助は、自分の背後にいる江田に言った。

「じゃあ僕はいつも通り、閨でお昼寝するね」

 江田は小さくうなずいて微笑んだ。

「私たちは仕事が立て込んでいるからここにはいられないが、昼八つ半になったら起こしに来るよ」

「うん」

 パタン、と閨の障子が閉じるのを見ながら、江田の隣で田崎が神妙な顔をしていた。

「どうした田崎」

「くぅぅ…あの可愛い大地之助殿が、殿に嘘をついているのではと疑わねばならぬのが…苦しいっ…!」

「私もそうだ。大地之助殿が不審な動きをしているなど考えたくもない。だが現に殿は苦しんでおられる。大地之助殿に何ら怪しいところはないと、

我々が証明してみせようではないか」

 江田の説得に田崎は腹を決めたようで、強くうなずいた。


 二人が廊下の死角に潜んでいると、ス―――ッと殿の部屋の障子が開いた。

 中からは大地之助が頭だけ出して、キョロキョロと辺りを見回している。

 お昼寝すると自分から言っていたのに。

「ま…まさか…」

「しっ!」

 田崎の疑惑と失望の声を制して、江田は大地之助の行動を見守った。

 すると、そのまま大地之助は足音をたてないように、静かに廊下を歩み始めた。


「……」

 どこへ行くというのだろう。

 江田も田崎も、そんな大地之助に見つからないように、細心の注意を払いながら足音を忍ばせて尾行を開始した。


 大地之助は、この時間帯は城の中でも人の少ないところを上手く選んで歩いているようだ。

「厠と思いたかったんだが…どうやら違うようだな」

「私もまったく同じことを思っていたよ…」

 田崎の張りつめた声に対して、落胆が色濃く表れた様子の江田が答える。


 大地之助のこの行動を見ると、もう昼寝をする気がないのは明白だった。自分たちに嘘をついたのが衝撃で、二人とも辛かった。

 大地之助は心なしかウキウキして見える。

 これは何が何でも追求しなくてはならない、と決意を新たに、江田と田崎は大地之助の後についていった。


 城の外に出て、大地之助はどこで見つけたのか、子ども一人がやっと通れる生垣の隙間を器用に縫って進んでいく。

 そして、城の中で小規模の荷物搬入口まで来た。

 江田も田崎も大きな身体でそんなところを通っていくため、着物のところどころを引っ掛けたり、顔に小さな傷を作ってしまった。

 だが、そんなことを気にしてはいられない。


 こんなところまで来て、もしや大地之助は外へ出ていくのかと思ったが、家臣二人はその考えを打ち消した。

 表門ほどではないが、ここにだってちゃんと門番はいるのだ。

 特に前回の安井の事件があって以来、警備や見回りは徹底して厳しく行っているのだ。

 他者を城内へ入れる時はもちろんだが、城内から城外へ出る時も例外ではない。

 門番の目をかいくぐって外に出られるわけがない。

 …と思っていると…。


「あっ」

 田崎が思わず声を上げた。


 見れば、大地之助は先ほどと同様、生垣の小さな穴をくぐり抜けた。

 その先はお堀があり、幅は狭いものの容易に出入りできない構造になっている。

 だが大地之助は、高さを利用していとも簡単にそのお堀を飛び越えて、向こう岸へ渡り切ってしまった。


「……」

 江田と田崎はポカーン、と開いた口が塞がらなかった。

 大地之助の一連の動作があまりにも鮮やかだったからだ。

 これは一度や二度じゃない。秘密のお城脱出は、何度も何度も繰り返し行われていたのだ。


 大地之助はそんな二人の気も知らず、すたこらさっさと駆け足で山間の方面へ消えていく。

「おい田崎、行くぞっ」

「お、おう!」

 江田と田崎はやっと我に返り、搬入口の扉を門番に開けてもらって、大地之助の姿を見失わないように追いかけた。


 城では周りに見つからないようにキョロキョロしていた大地之助は、外へ出るとそういった様子は一切見せずに堂々と歩いていた。

 山間の為、町中に比べて人が少なく、大地之助の顔をまじまじ見る者もいない。

 そこらに生えている草で笛を作り、ブーブーと鳴らしながら楽しげに山道を進んでいく。


「…大地之助殿、すごく楽しそうだな…」

「ああ…」

 離れていても胸弾ませている様子がありありと伝わってきて、二人は心が痛かった。

 殿や自分たちに嘘をついてまで、こんな場所へ来る理由。

「まさか、ただの散歩にこんなとこまで来てる、というのではあるまいな」

「それなら嘘をつく必要はなかろう」

「そ、そうだな…」

 疑いつつもかすかに抱いていた田崎の一縷の望みも、江田のツッコミにあっさり消えていった。

 しょげながらも、田崎は首をひねった。

「しかしこの先といったら…鑑永寺というさびれた寺しかないぞ」

「…鑑永寺…確か住職が一人で住んでいるというところだったな。しかもその住職、あまり評判がよくない男ではなかったか」

「ああ、ろくに住職の仕事をせず、酒びたりで借金にまみれてるって噂を聞いたことがある。確か鑑導という名だったと思うが」


「がーんさん!!」

「!!」

 江田と田崎がそう話していると、折よく大地之助が鑑導の名を口にしたので、二人は飛び上がりそうなほど驚いた。

 話に熱中して気づかなかったが、寺の敷地内に大地之助は辿りついていたのだ。


 草は生え放題、土ぼこりを山ほどかぶっている屋根。寺の土壁はところどころ穴が開いていて、木材でできている扉や窓の柵は亀裂が生じている。

 そんなところなのに、大地之助は何とも思っていないようだ。

 むしろ、城を抜け出す時から発していたウキウキと楽しげな様子が最高潮に達している気がする。


「…大地之助殿…この寺へ何の用事が…?」

 寺の敷地を取り囲んでいる塀に身をかがませながら、田崎が喘ぐように小さく呟いた。

 すると、寺の中から男の声がした。


「ったくうるさいなぁ、いちいち声かけなくていいっつったろー」

 大地之助の呼びかけに答えるところを見ると、先ほど話していた住職の鑑導だろう。

 野太い声と下品な口調。噂にたがわぬ様子から、江田は眉をひそめた。


 なぜ大地之助は、こんな人里離れた寂しい鑑永寺まで来て、わざわざ鑑導という男に会っているのだろう。はなはだ疑問だった。

 その男の顔が見てみたくて、建物と同じぐらいボロボロの塀から江田と田崎は目を凝らした。

「……?」

 そこからは鑑導の姿は見えなかった。

 だが入口近くには来ているのだろう、大地之助と二言三言交わした後、中に招き入れた。


「…大地之助殿、ますます楽しそうだなぁ…」

 田崎ががっくり肩を落としながら呟いた。

 同じことを感じていた江田だったが、殿に報告するために田崎を誘う。

「中の様子を探るんだ。大地之助殿に気づかれぬよう、注意するのだぞ」

 田崎は気を取り直して、江田と二人、足音を立てぬよう雑草だらけの寺の敷地内へ入っていった。