殿の誕生日 13
「……」

 気配を殺して入口から中を覗いてみる。

 大地之助と鑑導の話し声がかすかに聞こえてはくるが、姿が確認できるほど近くにはおらず、何を言っているのかまでは判別できない。

 時折大地之助の笑い声が混じる。

 江田と田崎の胸に『もしや…』と、ある疑念が浮かび上がった。


「まさか…大地之助殿は…ぅ、浮気しているのでは…」

 田崎が江田に声を潜ませて聞いた。あの殿をあの大地之助が裏切ったなど信じたくない様子で、その顔はもはや半泣きだった。


「そ、そんなこと…そんなことは断じてない!」

 田崎と同様、大地之助がそんな子どもではないと思いたい江田は強く否定した。

「でも、そんなこと言ったって…私だってこんな、口がはばかられるようなこと言いたくはないが…殿に内緒で隠れるように、こんな寂しいところまで

大地之助殿が来る理由、どう説明する?」

「…っ」

 江田は喉をつまらせる。

 そうなのだ。大地之助のこの行動を合点のいくものにするためには、鑑導と逢引するためにここへ来ていると考えた方が妥当だった。


「ハァ…殿にどうやってご報告すればよいのだ」

 隣で頭を抱え出す田崎。江田は拳を握りしめて言った。

「まだそうと決まったわけではない。大地之助殿が、う、浮気などしておらぬと我々が証明しようではないか!この場所では中の様子が見えぬから、違う

ところへ…」

 江田がそう息まいた瞬間、ドタドタとこちらへ向かって寺の廊下を歩いてくる音がした。

 その後方から大地之助の声が追いかけてくる。

「どうしたの鑑さん」

「…人の話し声が聞こえた気がしてな」


(まずい!!)

 江田と田崎は慌てて入口から離れ、近くの草むらに隠れた。

「え…誰か来てるの?」

 近くにいるであろう大地之助の声の後に、誰かが外に出てきた足音がする。鑑導が外の様子を探り見ているらしかった。

「借金取りのヤツらだと、隠れなきゃならねぇからな。誰か来るっつったらあいつらぐらいしかいねぇ」


 家臣二人は見つからぬよう息を殺しながら、鑑導の顔をひと目見ようとそ〜っと首を伸ばした。

「!!!」

 それは、江田と田崎を圧倒させるのに充分な風貌だった。

 身長は六尺を優に超える長身で、しかも上背に加えて肩幅なども負けず劣らずしっかりしており、大層大柄な体格だった。

 黒くて太いゲジ眉の下には、ギョロリと光る大きな目。口元には無精髭を乱雑に生やしており、達磨絵のような迫力があった。

 坊主特有の青々とした剃毛後の頭が、なぜだかさらにこちらに威圧感を与える。 


 そんな見るからに恐ろしい鑑導を追って、ひょこっと大地之助が入口から出てきた。

「…誰もいない?」

「お前は出てくるなっ」

 自分の元へ近づいてきた大地之助を、鑑導は慌てた様子で寺の中へ押し込める。

 江田と田崎は、大地之助に気安く触れる鑑導に苛立ちと嫉妬を覚えた。


「えー、なんでさ」

 鑑導に押されながら、大地之助は不満そうな声を上げた。

「だから、借金取りだったらヤバいんだよ。オレ一人ならまだしも、お前がいたらコトがややこしくなんだから」

「…ふーん」

 大地之助は何がどうややこしくなるのか分かりかねたが、そこはあまりツッコまなかった。

「借金ったってちゃんと返してあんのに、利子だ何だとカコつけていきなり来たりするからな」

 大地之助を玄関先に押し込め、それを背にしてギョロギョロと寺の付近を探り見ながら、鑑導は一人ごちる。


「……」

 噂どおり、借金にまみれた自堕落な生活を送っているらしい鑑導自身の言葉を聞いて、江田たちはさらに不安が増す。

 それにタチの悪い連中がこの寺へ来ているとなると、大地之助の身が危険だ。

 
「……誰もいないんじゃない?」

「……」

 大地之助が後ろから鑑導に声をかける。しかし野生の勘なのか、まだ人の気配があることを察していて警戒を怠らなかった。

「もういないってば、鑑さん」

 大地之助は玄関から少し出てきて、鑑導の袖を引っ張った。

「だーから出てくるなって…」

「誰もいないって。ねーねー、それより早くやろうよ」


「……!!!!!」

 江田たちは絶句した。


「僕時間ないんだから、早くゥ」

 気のせいか大地之助の声は甘く鼻にかかっているような気がする。

 また、誘われている鑑導の顔は一見うんざりしたように見えるが、まんざらでもない様子で照れくさそうに頬をぽりぽり掻いている。

 「……」

 玄関の中に消えた二人が今までいた空間を、田崎は震えながら見つめていた。


 ぐびりと音を立てながら唾を飲む。

 『やろうよ』とねだっている大地之助…もしやこの『やる』というのは…。


 自然と、あの大男に組み敷かれて荒々しく背後から貫かれている大地之助を想像してしまう。

 飢えた野獣のような鑑導にむしゃぶりつかれて、目尻から涙を流してはいるが、それは嫌悪や屈辱からではない。

 歓喜の、愉悦の、悦楽の涙だ。


「…っあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっ!!」

 田崎はそこまで想像して、いきなり頭を抱えて叫んだ。

「っ…バカッ!」

 隣にいる田崎は当然慌てふためいた。すぐさま手のひらで田崎の口を覆う。


「っ、誰だっ!」

 中に入っていた鑑導は、下駄を引っ掛けながら猛然と駆けだしてきた。

 殿の命は『決して気づかれるな』である。江田はもう必死で、この困った田崎を引っ張り茂みに隠れた。


「……」

「……」

 鑑導の全身からすさまじい威圧感と警戒心が放たれている。

 身を潜めているためヤツの姿は見えていないのに、江田も田崎もはっきりと感じ取れるほど辺りの空気が殺気立っていた。


 田崎は自分が起こした騒動に大いに焦りながら、ゆっくりと音を立てないように江田の手を口から離した。

 そして目だけを草の間から覗かせて、鑑導を見てみる。

「っ!」

 少し離れてはいるが、鑑導はまっすぐこちらを見ていた。

 怒りを帯びた刺すような眼力は壮烈で、見つかったらすぐさま殺されそうな鋭さである。

 江田もそれを見て、自然と刀に手をかけていた。


 すると、鑑導がこちらへ歩を進め出した。

 その瞬間、またもや田崎がたまらず声を漏らした。

「くぁっ…!!」

「バカッ」

 江田はまたもや田崎の口を手で塞いだが、時すでに遅しだった。


「出て来い、誰だっ!!」

 鑑導が田崎の悲鳴を頼りにずんずんとこちらへ向かってくる。

 ヤバい、バレる。殿の命に背いてしまうことになる。

 いや、それ以前にこの鑑導に殺されてしまうのではないか。

 追いつめられた江田は、いちかばちかの行動に出た。


「か…カァ〜〜〜〜〜っ!!」

「?」

 カラスの鳴き真似で、どうにか鑑導を誤魔化せないかと踏んだのである。

 これにはこういう行動を江田にとらせた原因の田崎ですら、呆気にとられた。

「……」

 鑑導はいまいち半信半疑といった様子で、しばらく黙ってこちらを見ているようだ。


「ん?」

 鑑導の視界に黒いものが見えた。実はそれは江田の羽織の裾だった。

「…ああ、カラスか…」

 そう一人ごちた鑑導に、江田たちは心底ホッとした。


「鑑さん」

 突然大地之助の声がした。

 なかなか鑑導が帰ってこないので、どうやら心配して見に来たらしい。

「だからお前は出てくるなって」

「んん、だって遅いんだもん。鑑さんに何かあったのかと思ってさ」

「ったく聞き分けのねぇ坊主だ」

「なんだよソレー。坊主は鑑さんだろ」

 なんだか鑑導と大地之助がイチャついているように見えるが、江田たちはそれに怒れるほどの余裕はなかった。


「どうかしたの?」

「…ああ、何でもない。どうやらでかいカラスが…二羽ぐらいそこにいるらしい」

 田崎の鼓動がバクバクと早まる。当然江田も同じだった。

 鑑導は江田たちがいる辺りを指差して続けた。

「ちょうどあの辺りに、二日前ぐらいだったか…のたれ死んでるヤツがいてよ、かなり腐敗が進んでたからその匂いにつられて飛んできたんだろ」


「……!!」

 今自分たちがしゃがみ込んでいるここで、人が死んでいた…?

 ゾワワワ…と足元から一気に鳥肌が立った。


「そうなんだ…」

 大地之助は死体があった気味悪さより、のたれ死んだ見ず知らずの人のことが気の毒な様子だった。

「…死体はオレが無縁仏として弔ってやった」

 大地之助は鑑導を見上げて、ホッとしたような笑顔を見せる。鑑導は軽く咳払いをしつつ目を逸らす。

「一応、仏さんだ何だのってのは、オレの本業だからな」

 照れくさそうな様子を見せながら、鑑導は続けた。

「しっかし間抜けなカラスたちだなぁ。もう死体はないから死肉はあされねェのによ」

 江田たちは自分らが間抜けと言われたようでカチンとしつつも、もちろんどうすることもできなかった。

「ま、どっかで栄養つけて、また帰ってくりゃいいさ」

「…どうして?」

 大地之助の問いに鑑導はこちらを向いたまま、ニヤリと笑って答えた。

「そん時ゃ当然、オレが八つ裂きにして食ってやる」


「……!!」

 江田と田崎に再び戦慄が走る。

 特に田崎はよく叫ばなかったものと我ながら感心するほど怖ろしかった。

 が、それは逆に恐怖が最高潮に達して何もできなかった、という方が正しかった。


「えー、カラス食べるの?」

 大地之助が隣で驚きの声を上げる。

「ああ、美味いぞ。お前も今度食ってみるか?」

「ええ〜〜〜??」

 笑いながら寺へ戻る鑑導についていく大地之助。

 江田たちはその後ろ姿をじっと見ているしかなかった…。


 結局その後、江田と田崎は寺の中に入った大地之助たちにほとんど近づくことができず、何をしているのかつきとめることができなかった。

 あの住職と大地之助が恋仲かもしれない…その疑念を晴らすに至らず、また鑑導の迫力に怖れをなしてしまった自分たちの不甲斐なさに、帰りの

足取りはかなり重かった。


「…殿になんて報告しよう…」

「そうだな…」

 大地之助が城へ帰る後ろ姿を見ながら、力ない二人の声が小さく行き交う。

 元気で楽しそうな大地之助に反して、家臣たちの気分はかなり沈んでいた。