殿の誕生日 14
「鑑永寺?」

 大地之助を尾行してきた江田と田崎から報告を受けて、殿は眉をひそめた。


「はい、吉井山の中腹にある人里離れたその寺へ、大地之助殿はお一人で参っておりました」

「なぜそんなところに…」


 大地之助の家族が眠る寺は城下町の一角にあり、殿も一緒に何度も参っているため鑑永寺ではないことは知っている。

 自分や城の者に内緒でそこへ行く理由がまったく分からないことから、殿は首をひねった。


「あいつは何をしにそんなところへ行っていたのだ?お前ら、しっかり見てきたんだろうな」

 それを聞いて江田と田崎はバツが悪そうに顔を見合わせる。言いにくそうに田崎が口を開いた。

「…それが…かなりボロい寺で、中は暗いし散らかっていて、そこで大地之助殿が何をしているのかまでは探ることができませんでした。おまけにあそこの

鑑導という住職、熊みたいに大きな男で…」

「住職!?」

 他の者の存在を知って、殿は思わず田崎の言葉をさえぎった。


 …冷静に考えれば、寺には当然だが住職がいる。

 大地之助の行動が不可解なことに気を取られてしまい、誰と会っているかまでには考えが及んでいなかった。

 殿は焦った。


 江田は殿の心中を察しつつ、言いにくそうに答える。

「はい、先ほど鑑永寺について調べましたところ、その鑑導という住職一人で寺に住んでいるようです。しかも酒呑みで借金だらけ、檀家も離れて…など、

いざこざの絶えない評判の悪い男でして」


 それを聞いて、殿の不安はますます募る。殿は江田に迫った。

「だ…大地之助はその鑑導とやらに会いに行っていると言うのか!」

 江田の肩を持って前のめりで肉迫する殿に、江田はどう答えてよいか分からず困惑している。

 田崎がため息をつきながら言った。

「そ…そのようでございます。それに…誠に申し上げにくいのですが…」

「何だっ!!」

 殿は今度、田崎に視線を寄こす。心配を募らせている様子で、興奮状態だった。

 そのため言いよどんだが、見てきたことを報告せねばならない立場の田崎は、意を決して続けた。

「寺へ向かう大地之助殿は、ワクワクしているというかはしゃいでいるというか…誠に楽しそうでございました」


 殿はそれを聞いてやっと江田の肩から手を放した。

 が、それは放したというより、力が抜けて掴んでいられないと言った方が的確だった。

 殿の顔は青ざめて呆然としていた。


「大地之助…」

 最愛の小姓の名を小さく呟く殿。

 家臣の自分たちでさえ、これだけ衝撃を受けているのだ。殿の心痛がいかばかりか、計り知れない。

 江田も田崎も声のかけようがなく、重く静かな時が流れる中、殿が口を開いた。


「…その鑑導という住職はどういった感じの男なのだ…」

「それが…」

 それを言うと殿がさらに心配するであろうことは目に見えていたが、江田は職務ゆえに正確に報告せねばなるまい、と続けた。

「噂にたがわず、風貌もかなりいかつい男でして、まるで熊のような体格をしております。小さな大地之助殿が隣にいると、またそれが際立っていて…」

 隣で聞いていた田崎は、昼間のことをまざまざと思い出して口をはさんだ。

「さようでございます、体格だけではなく、鑑導は野蛮で下品で異様なほど迫力のある怖ろしげな男でして…ヤツがひとたび本気で大地之助殿をかどわかそうと

したら、ひとたまりもないと思える程でございます…」


 殿の口元がピク、と小さく動いた。

 田崎はそれにまったく気づかず、自分たちの憧れの的の大地之助と仲良くしているうらやましさと嫉妬も手伝って、ペラペラと続けた。

「しかも大地之助殿はそのような男を親しげに『鑑さん』と呼び、意味深にも『早くやろうよ』などと甘えた声を出して…」


 江田は田崎の発言を聞いて、慌てて脇腹を突っついた。

「?」

 江田を見ると、眉をひそめて首を振っている。

 牽制された意味が分かっていない田崎の視線を、江田がこっそりと肘で示して殿へと誘導する。

 殿は、真っ青な顔で憔悴していた。


「…大地之助が…自らそのようなことを言ったのか…」

 よく見ると、殿の目にはうっすらと涙が。無理もない。

 家臣二人が力なくうなずくと、殿は消え入るような声で呟いた。

「…横山や安井の事件のことを考えると、大地之助が無理矢理よからぬことをしてくる男の元に通うはずがない…」

 口にするのも汚らわしいあの出来事。

 大地之助は深く深く傷ついており、確かに殿の言うとおり自分を犯そうとする男の所に自ら出向くはずがない。


 だが、鑑導に向かって『早くやろうよ』と言っていた。

 それに、夜伽の為に与えている昼寝の時間を削り、挙句その夜伽には寝てしまいここ最近自分とろくに交わっていない大地之助。

 それはもしや…。


 殿は決して考えたくない答えに行きつき、胸が締めつけられる思いだった。

「…大地之助が、浮気…」

 口にするとさらに苦しくなって、殿はいきなり畳に突っ伏した。

「大地之助〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!」

 いつもにこやかで冷静で賢明な一国一城の主がこんなにも取り乱している。

 かなりの打撃を受けたと分かって、江田と田崎は慌てて殿の元へと近寄った。


「と…殿、大丈夫です…!!あんなに殿を愛している大地之助殿が…そのようなことをするはずがありませぬ!」

「さようです!殿を裏切るようなこと、大地之助殿は絶対になさいません!」

 家臣に安心するよう言われた殿は、ゆっくり顔を上げた。その頬にははっきりと、涙の筋が現れている。


「……」

 江田も田崎も言葉が出てこず戸惑っていると、殿が呟いた。

「お前ら…そこまで知っておきながら、なぜきちんと調べなかった…」

 殿の目は悲壮感を漂わせつつ、だんだんと恨みがましげな様相を呈してきた。

 大地之助への疑念が膨らみ、それを晴らしてくれるどころかより不安になる情報ばかりのため、殿の中に家臣への怒りが芽生え始めているようだ。


「そ、それは…」

 静かだが異様な迫力の殿に言い淀む江田に代わって、田崎が口を開いた。

「私たちも中で何をしているか確認しようと思いましたが、寺は本当にボロ家というか…床は軋むし入りようもなく…それにヤツは動物的な勘が異常に

働くようで、少しでも物音を立てようものならすぐさますごい勢いでやって来て、その時の鑑導の顔と言ったら!ギョロリと睨んだあの目、思い出した

だけでも身の毛がよだつぐらいで…!」

 ヒー!と震えながら自身を抱きしめ怖ろしがっている田崎。

 江田は、自分の援護で代わりに説明し出したこの男をはじめはありがたく思っていたが、これを聞いているとなんだか真相を突き止められなかった

言い訳に聞こえてきて、ヤバいんじゃないかな〜…と感じていた。

 殿の顔をチラリと見てみると、田崎の話を黙って聞いてはいるものの、視線はますます厳しくなっている。

 だがそんなことにまったく気づいていない田崎は、ペラペラと続けた。

「鑑導の怖ろしさたるや、まさに鳥肌もので…あ、鳥肌と言えば、この江田なんて鑑導が怖ろしくて思わずカラスの鳴き真似までしたのですよ」


「お前…!!」

 ビクついてとってしまった我ながら封印したい恥ずかしい行動を、鑑導への恐怖心からつい正直にすべて田崎が語るので、江田は思わず仲間に食ってかかった。

「それは先にお主が怖ろしさのため奇声を上げて、見つかりそうになったからではないか!」

「ぐっ…!」

「おかげであの住職にバレそうになって、とっさの判断で私がああしなければ気づかれるところであっただろう!完全にビビッて何もできなかったどころか

脚を引っ張るばかりのお前に、何も言われとうはない!」

「…くそー!言ったな!!」


 殿の前だということを忘れて、言い争う江田と田崎。

 職務を果たせなかった上に見苦しく罵りあう家臣たちに、殿は激昂した。

「もうよい!」

 声を荒げて殿は続けた。その身体は怒りでわなわなと震えている。

「結局お前らは、鑑導の迫力に怖れをなして何も調べられなかっただけであろう!」

 その通りすぎて、田崎はもちろん江田も何も言えなかった。言えるはずもないが。

「まったく不甲斐ない。武士ともあろう者が一人の坊主におののいて何もできないとは…情けなくて涙も止まったわ!」

「…申し訳ございません…」

 江田と田崎は、殿の前で完全に身を縮ませて頭を下げた。


「…よし、こうなったら私が直々に大地之助に聞く」

「えっ」

 家臣二人はそろって面を上げた。

「私が大地之助に『鑑永寺でそこの住職と浮気…』」

 そこまで言って、殿の言葉が途切れた。

 見開かれた目には、止まっていた涙がみるみるうちにたまっていく。


 問いただして、大地之助がそれを認めたら?

 浮気なんて可愛いものじゃなく、鑑導に本気だったとしたら?

 殿より鑑導のことが好きだと言われたら?


 直面するかもしれぬ、自分にとってこの上なく残酷な事態を想定すると、殿は怖ろしくて、また悲しくて、実行する気力がたちまち消えていく。

 再び呆然と視線を宙へ彷徨わせてへたり込んでいる殿を見て、その心理をすべて家臣たちは察知した。

 江田は思わず殿に声をかけた。

「殿、先ほども申しましたように、大地之助殿が殿以外の男に懸想をするなど、これまでの殿と大地之助殿を見ているとそうは思えないのです。

僭越ながら、そう思いたくないという、私の強い願望でもあります」

 殿がゆっくりと江田を見る。その隣で、田崎も真剣な面持ちで殿を見てうなずいた。


 江田は誠意を持って続けた。

「ですので明日…大地之助殿が鑑永寺に通う理由を、私と田崎が必ずや突きとめとうございます」


 殿はゆっくりと二人を見た。

 家臣たちが自分と大地之助を想うその愛情に、深く感謝して答えた。

「ならば…頼んだぞ」

「はっ!」

 憔悴しきっていた殿は、力強く返事をする家臣二人を見て、みるみるいつもの凛々しい主人の顔に戻った。

「大地之助や鑑導に気づかれぬよう見て参れ。今日のようなことのないよう、しっかりやるのだぞ」

「はっ!」

 
 江田たちは頭を下げて、殿から部屋を出る指示を待った。

 ただ殿の口から出てきたのは、予想と違う言葉だった。

「もし…明日お前らが見たものが、私が望まない辛いものであっても…正直にありのままを伝えてくれ」


 江田と田崎はハッとして顔を上げた。殿は弱々しく続けた。

「…私こそこんな立場なのに情けないが、大地之助のことになるとたちまち臆病者の弱虫になってしまう。よろしく頼む」

「殿…」


 江田と田崎は、弱々しく微笑む殿を見て、それ以上何も言えなかった。