殿の誕生日 15
 その日の大地之助は、いつものように寝室の一つ前の部屋で、殿の仕事が終わるのを家臣たちと待っていた。

 例によってかなり眠たかったが、このところ夜伽をせずに寝てしまうことの反省もあって、コクリコクリと睡魔に負けそうになりながらも頑張って起きていた。


 殿は今、中条と五代がおつきをしている。そのためこの場にいるのは江田と田崎であった。


「ん…」

 眠い目をこすって、座布団の上で正座している大地之助。

 二人はそんな大地之助を見て胸が苦しかった。

 その様子は今まではただただ愛らしいの一言だったのだが、鑑導の存在が関係しているとなるとそれだけでは済まされず、何とも複雑だった。


 だが、大地之助が懸命に起きていようとするのは、愛している殿のためなのだと思い直し、田崎は大地之助に声をかけた。

「大地之助殿、眠気覚ましにここらでひとつ…にらめっこでもするか?」

 田崎は少々子どもっぽい遊びだと我ながら思いつつ、大地之助の前に座る。


「…ぅん」

 ますます眠たそうな大地之助だったが、気分転換にと田崎の提案に乗ることにした。

「じゃあいくぞ。にらめっこしましょ、笑うと負けよ、あっぷっぷ!」

 田崎は両手の指を器用に使って、できる限り変な顔で笑わせようとする。

 大地之助も負けじと同じように目や鼻に指をかけて、田崎に顔を向けた。


「…ぷぅ!」

 先に吹き出したのは大地之助の方だった。勝負の行く末をすぐ隣で見守っていた江田が笑う。

「ふふ、大地之助殿の負けだな」

「だって…田崎さん、鼻毛が出てるんだもん!」

 まだ変な顔をしたままの田崎を江田に示しながら、大地之助も笑っている。

「そこからだと見えないかもしれない…真正面から見て?すごいよほらっ!」

 大地之助は腹を抱えて心底可笑しそうだ。江田は身を乗り出して田崎の前に回る。

「どれどれ…ややっ!本当だ田崎、お前すごいぞ…!」

「えぇー、そんなにか?」

「早々に処理しておかないと、殿に指摘されてしまうぐらいすごいぞ」

「そ、そりゃマズイ!」

 そんな会話を聞いて、大地之助は目尻にうっすら涙がたまるほど大爆笑している。どうやら眠気はすっかり吹き飛んだ様子だ。

 それを見て家臣二人は安心しつつ、その一方で、この愛らしい少年が鑑導と恋仲かもしれぬと思うと胸が痛かった。


「もう一回しよっ。今度は負けないぞ」

「ふふん、大地之助殿、私の鼻毛の威力に勝てるかな?」

「っ…ズルイよ、始める前に笑わせるなんて」

 キャッキャッと笑う大地之助と再戦すべく田崎がかけ声をかけようとしたその時、仕事を終えた殿が部屋に帰ってきた。


「あ、殿。おかえりなさい!」

 大地之助が挨拶する後ろで、主人が帰ってきたため江田と田崎は深々と頭を下げた。

「ただいま」

 殿はいつものように、出迎えてくれる大地之助の頭を愛おしそうに撫でた。だが、鑑導の話を聞いた上では少し複雑で、殿の瞳は少し憂いを含んでいる。

「今日はずいぶんと元気だな。眠くないのか?」

「うん、田崎さんとにらめっこしてたから」

「そうかそうか」


 自分が鑑永寺に行っていることを殿に知られているなど思っていない大地之助は、無邪気に殿にじゃれつく。

「田崎さんの顔ったら可笑しくってさぁ、僕すぐ負けちゃった」

 殿は大地之助の話を、うん、うん、と何度もうなずきながら聞いている。見下ろしているその顔は優しく微笑んでいた。

 哀愁を帯びているものの、愛おしげに大地之助の肩に手をかけている殿を見ると、家臣たちは二人とも胸が締めつけられる思いだった。


 そのまま殿は大地之助を連れて寝室へ入る。大地之助はまだにらめっこの話をしていた。

「また明日してもらおーっと!今度は負けな…」

「大地之助…」

 殿は突然、大地之助の小さな身体を後ろからかき抱いた。

 この世でたった一人、心の底から愛しているこの少年が自分以外の男と…と思うと殿はたまらなかった。


「……?」

 大地之助はやっと殿の異変に気づいた。

 いつもはニコニコ笑って少しおどけた調子で近づいてくるのに、今日の殿はそうではなかった。

「殿…?」

 大地之助は小さく呟いて、後ろを振り返ろうとする。

 だが殿はそれを許そうとせず、か細いうなじに顔をうずめてまた名を呼んだ。

「大地之助…」


「…殿、どうしたの?」

 ますますいつもと違う殿の様子に、大地之助は心配になって振り返った。

「お仕事がお忙しくて疲れてるの?それとも…お身体の具合が悪いのかな?」

 殿の手を取って心底心配そうに見上げてくる大地之助。

 それを見ると、鑑導との関係は懸念しているようなものではないと思いたかった。

 この少年がまさか、自分を裏切っているなどと…。


 殿はやんわりと微笑んだ。大地之助を布団の上に座らせる。

「いいや、大丈夫だよ。すまんな心配かけて」

「…でも、元気がないよ殿」

 向き合って中腰になり、殿の頬に手を添える。

 殿がその心地よさに身をゆだねていると、突然大地之助が指を使って変な顔をし始めた。

「ほら殿、笑って〜」

 先ほどのにらめっこの感覚で、殿を笑わせようとしている。大地之助のいじらしさと顔の可笑しさに、殿は小さく笑った。


 それを見て、大地之助も安心したように微笑んだ。

「ちょっと元気出た?」

 自分を元気づけようと懸命な大地之助に、ますます愛しさがこみ上げてきて、殿は目の前のあどけない少年をかき抱いた。

「っ…」

「大地之助…愛している…」

 そのまま大地之助をゆっくりと布団に押し倒した。

「愛している…この世で一番…」

 情熱的な言葉とはうらはらに、耳元でささやく殿の声は少し寂しげだった。

 強く抱きしめられているため殿の顔を見ることができない。大地之助はそのまま尋ねた。

「殿、本当に大丈夫?いつもと違うよ…?」

 殿は小さくうなずいた。

「心の底から愛している…」

 よく分からないものの、真剣味を帯びた殿に熱烈な想いを告げられて、大地之助を強い陶酔が襲う。

「うん、僕も…僕も殿をこの世で一番愛してる…」

 大地之助も殿の耳元で甘く囁いた。殿はそれを聞いて、さらに強く抱きしめる。


「っ、…ぅぅん、殿、苦しい…」

「す、すまん」

 殿が少し力をゆるめる。大地之助はそう言ったものの、今度は自分から殿の首の後ろに両腕を回した。


 殿の匂いがする。

 触れ合ったところから、殿自身の愛情が流れ込んでくる。

 他の誰よりも、大好きな大好きな殿。

 大地之助は至福の極みだった。


「気持ちいい…」

 自然に口をついて出た言葉。

 その吐息まじりの艶っぽい口ぶりに、今まで長い間お預けを食らわされていたことも手伝って、殿は猛烈に興奮してきた。

「殿、大好き…」

 大地之助は可愛い声で、さらに殿を刺激する。


「大地之助っ…!」

 たまらず身を起こし口づけをしようとしたその時。

 首の後ろに回された大地之助の両腕が、力なく布団の上にぱたりと落ちた。


「ん?」

「…スー…スー…」

 見れば、大地之助は気持ち良さそうに眠っているではないか。

「っ…!だ、大地之助!?」

 呼びかけても、この幼いお小姓はあどけない寝顔を見せつけたまま、反応しない。

 どうやら殿に抱きしめられた心地よさで、我慢していた眠気がよみがえってしまったらしい。


「…おい、大地之助…」

 せっかくいい雰囲気になって、久しぶりに性交に及べると思ったのに。

 殿は自分の股間に視線を移す。そこは褌の中で頭をもたげ始めていた。


「お前、どうしてくれんだコレ…」

 大地之助に語りかけても、相変わらずスースーと寝息を立てて眠っている。

「このままヤッちゃうぞっ?」

 ガバ、と大地之助に本腰で覆いかぶさる。

 だがその子どものままの頑是ない寝顔を見ると、どうにも続きに及べない。

 また、大地之助には今まで何度も男の欲望のまま無理矢理肉体の交わりを求められた経験がある。良心がズキンと痛んだ。


「…大地之助〜!」

 契りたいのに契れない、そのやるせなさに思わず殿が叫ぶと、大地之助はうっとうしそうに寝返りを打った。

「ぅうん…」

 向こうを向いてしまった小さな背中に、殿はすぐさますり寄って後ろから抱きしめた。

「…大地之助ェ…」

 頭に手を回してさらに密着してくる殿に、大地之助は小さく呟いた。

「っ、ん〜っ、殿暑い」


 家臣たちは今日のこともあって、いつも以上にこの様子に耳をそばだてていた。四人全員、思っていることはみな同じである。

(おいたわしや、殿…!)


「……」

 先ほど大地之助は自分を『愛してる』と言った。

 その様子から浮気してはいないと確信めいたものを感じつつ、こうして契りを行えないぐらい大地之助が眠気に包まれるのはあの住職のせいだ、と新たに

鑑導への恨みを募らせる殿。

「…暑いってば〜」

 殿に肘鉄を食らわせながら大地之助は逃れようと身をよじっている。

 寝ぼけてぼやく大地之助に寂しさを募らせながら、小さくとも自分の中で何より大きな存在のこの少年を、殿は愛しげに抱いたまま眠れぬ夜を過ごした。