殿の誕生日 16
 翌日の朝早く、殿は一人考えていた。


 大地之助が鑑永寺に行っていることは分かった。

 だが今まで共に過ごしていて、鑑永寺が話題になったこともなければ、興味を持っているなども聞いたことがなく。

 そのため大地之助とあの寺とが結びつかず、自身の考えのみで行こうと思いつくのは考えにくい。


 もしかして、大地之助に鑑導を紹介した者…日々の逢瀬を手引きしている者がいるのでないか。

 そう思った殿の脳裏に、この城で大地之助と仲のよい存在として、社万次郎の顔が浮かび上がった。


 万次郎は、城を飛び出した大地之助の話を親身になって聞いてやり、それによって生じた自分に対する憤りを遠慮なく口にした男だ。

 側近たちは無礼者だと厳罰に処すよう求めてきたが、万次郎のあの言動は大地之助に同情するあまりのことだと分かっていたし、あの事には自分に非がある

ため殿は何もしなかった。


 どうやら二人はその後仲良くしているらしく、歳も近い方だし兄弟のように接しているらしいことも知っている。


 あの男は大地之助を大切に想っている。


「社万次郎か…」

 殿は一人ごちて、立ち上がった。


 万次郎が朝から警備の職務についていると、家臣長の中条がやって来た。

 その後ろには警備長がいる。何やらビクビクした様子で、中条の顔色を窺っていた。

 中条が口を開いた。

「社万次郎、殿がお呼びだ。警備の番は警備長に代わってもらうから、今すぐ来い」

 
 万次郎はぎくりとした。

 大地之助が鑑永寺に行っていることがバレたのではないか。

 そして、自分が鑑導を紹介したことも。

 そうでないと、一介の警備兵の自分に、殿が声をかけるなどあるはずがない。

 きっと査問されるおつもりなのであろう。


 だが万次郎は、決して口にしまいと決意した。

 自分は大地之助と約束した。殿を驚かせたいから、わらじづくりのことは自分と鑑導、三人の秘密なのだと。

 この国で一番偉い殿であっても、大地之助との約束を破るような真似はするまい、と考えていた。

 たとえそれが殿への反逆行為であっても、自分がどうなろうとも、それだけは守る。

 万次郎は口を真一文字に結んで、固く心に誓った。


「ご迷惑をおかけしますが、番…よろしくお願いします」

 『何をやらかしたんだ万次郎』と心配そうにこちらを見ている警備長に一礼し、中条の後についていった。


 殿の部屋に通された万次郎は、ドキドキしながら殿の指示で顔を上げた。

 そのお顔は見るからに不機嫌そう…というよりも、疑念の目で万次郎を鋭く見据えている。

 やはり鑑永寺のことだと瞬時に察知し、万次郎の鼓動は一層早まった。


「私がお前を呼んだことに思い当たる節はあるか」

 殿の口調は冷ややかだった。

 温厚でお優しい殿がこうなるのは大地之助がらみだけだ。一筋縄ではいかないことは初めから分かっている。



 万次郎は心して答えた。

「いえ、分かりませぬ」

 殿の眉尻がピクリとひきつった。

「そうか…ではお前は、大地之助が毎日昼寝の時間に城を抜け出して、鑑永寺という寺に通い、お前の幼なじみの鑑導という男に会っていることは知らないと

申すのだな」

 殿は万次郎がどう反応するのか試すために、わざと細かく説明する。万次郎は動じずに答えた。

「…はい。今初めて知りました」

 殿は今度、こめかみに血管を浮かび上がらせた。万次郎が嘘をついていると察して、その身体は瞬時に怒りに包まれた。


 家臣長の中条と共に並んでいる五代が割って入った。

「しらばっくれるでない、この寺で鑑導と結びつくのはお前しかおらぬのだぞ!!」

 万次郎はそれでもしらを切った。

「私も今このことを知って、驚いている次第です。ですので答えようがありませぬ」

「お…おのれ〜、この期に及んで…!!」

 五代は万次郎に掴みかかる。


「こら五代!!殿の前だぞ!!」

 中条が慌てて止めに入ったが、頭に血が上った五代は言うことを聞かなかった。

 胸倉を掴まれても万次郎は何も言わず、無抵抗だった。

 それがまた五代の怒りをあおって、腰の刀に思わず手をかけた。


「やめろ!!」

 目の前で家臣たちがすったもんだするのを、殿が一喝した。

 五代はハッとして元の位置に戻った。


 万次郎は改めて殿に向かい、頭を下げた。

「私は何も存じ上げません」

「面を上げろ」

 殿は万次郎の顔をじっと見つめた。万次郎はひるまずに見つめ返す。

「…この私に嘘をついたらどうなるか、分かっておるのだろうな」

「…はい。それは充分に承知いたしております」

 そう答えて、万次郎は真っ直ぐに殿を見た。


 殿はしばらく、黙ったまま万次郎を厳しい表情で見据えていた。

 部屋は異様な緊張感に包まれていた。


 無言で圧力をかけても、万次郎は一切口を開こうとしなかった。その瞳には、揺るぎない決意が宿っていた。


 「…もうよい。下がれ」

 根負けした殿はため息をついた。

 万次郎は深々と一礼して、部屋を出ていった。


 中条が殿に尋ねた。

「よろしいのですか殿。あの感じだと、あいつは何か知っている様子ですよ」

「…ああ、私もそう思うのだが…」

 殿はやんわりと首を振る。

「きっと…どれだけ問いつめても、万次郎は絶対に白状しないだろう。あいつは私より、大地之助が大切なようだ」

 力なく呟く殿を見て、五代が息まいた。

「なんたる不届きもの…!前のこともありますし、殿、ここできちんと吐かせて厳罰を処さねば、ますますつけ上がりますよ!」

 中条が五代を肘で小突く。

 これ以上ものを言うなという戒めであった。


「あいつが大地之助を想う気持ちは、下手をすれば私と同じぐらいかもしれぬ。前のことがあるからこそ、あいつには私も強く出られないんだ」

 殿の言葉を聞いて、中条と五代はずけずけとものを言った己を反省した。五代が頭を下げた。

「も、申し訳ございません殿!」

「まぁよい。江田と田崎には今日、大地之助の跡をつけさせて真相を調べてくるよう言ってある。お前ら、万次郎にはこれ以上何もするなよ」

「はっ」

 殿の指示に、中条たちは再び頭を下げた。