殿の誕生日 18
「殿、喜んでくれるといいなぁ…」

 鼻緒の形にわらを編みながら、大地之助は小さく一人ごちた。

 鑑導は黙ってその後ろ姿をじっと見ている。

 その視線は少し影を落としたもので、その上何とも切なかった。

 江田は違和感を覚えた。

(あいつ…あんな顔で大地之助殿を見て、一体…)


 鑑導は大地之助の呟きに小さく答えた。

「…喜んでくれるさ」

「だったらいいなぁ!」

 大地之助は嬉しそうに振り返る。鑑導は軽く微笑み返したが、少し寂しそうに見えた。

 いつもと違う鑑導に異変を感じ、思わず声をかけた。


「鑑さん?」

 それにハッとなった様子で、この妙な空気を変えようとするかのごとく、鑑導は大地之助の手元を覗いた。

「そのまんま編んでったら、鼻緒が緩くなっちまうぞ」

「ん…でもコレ難しい」

「どれ」

 鑑導は机に向かっている大地之助の背後に近づく。そしてそのまま後ろから覆いかぶさるようにぴたりと身を寄せ、わらを持つ大地之助の両手に自分の手を

それぞれ上から重ね合わせた。

「…オレがこのまま指を動かして編み方の手本を見せてやる。オレはわらには触ってねぇから、どうだ、これならお前一人で作ったととになるだろ」

「そうだね!ありがと鑑さん。えーと、じゃあここを…」

「左は根元をこう支えといて、右手はしごきながらだ」


 二人の身体は密着しており、壁を隔ててすぐ向こう側で見ている江田も田崎も、気が気ではなかった。

 鑑導の太い指が、大地之助の細く小さな指に絡みつく。

 大地之助は何も感じていないようだが、江田たちの目にはまるで恋人同士のような仲睦まじさに映っている。自然と鼓動が速くなった。

 しかし出て行くわけにもいかず、純粋な親切心で大地之助に時間を割いている鑑導に対し、妙な気を起こしているのではないかと疑うのも悪いような気が

していた。


「んっ
んっ…ほどけちゃう」

「こうだ」

「うん、分かった」

 鑑導の手の動きを懸命に習得しようと、大地之助は自分の手元をしっかり見ながらわらじづくりに没頭している。


「……」

 手元ではそれを手伝ってやりながら、鑑導は大地之助自身に視線を向けた。

 丸い後頭部。顔の輪郭からはみ出した長いまつげ。

 この子どもが夢中で編んでいるのは、愛している殿のわらじなのだ。

 こうして毎日自分の元へ通っているのも、すべては殿のため。

 そう思いながら、大地之助のゆるやかで子どもゆえの少しぷっくりとした頬の輪郭を見ていると、鑑導は何とも言えない胸の苦しさを覚えた。


 今この腕の中にいる少年。

 確かにここにいるのに、決して自分のものにはならない。

 このわらじができあがったら…できあがってしまったら、大地之助はもう二度と…。

 鑑導はたまらず、大地之助の耳元にすり寄った。


「っ…?」

 江田と田崎は、鑑導の行動にドキリとした。

 これは…と二人が思っていると、鑑導が目を瞑って大地之助のうなじに顔をうずめ、切なげに呟いた。

「…大地之助…」

 大地之助はわらじづくりに集中しているようで、それに反応しなかった。


「ぉぃ…」

「……」

 妙な雰囲気になり始めて、田崎は思わず江田に小声で話しかけた。江田は視線を大地之助たちから離さず、ごくりと生唾を飲む。

 鑑導の様子から、まさか大地之助にこのまま…?と思っていると、再度鑑導が大地之助の名を呼んだ。

「大地之助…!」

 それは最初と比べると、さらに切なさを増していた。


 江田たちは確信した。

 この住職は、大地之助殿に懸想している。


 これはまずい、このままでは大地之助殿がまたよからぬ目に遭ってしまう、助けなければ!と二人が出ていこうとした時、大地之助の明るい声が響いた。

「も〜、鑑さん、くすぐったいっ」

 大地之助は笑って、背後から抱きしめている鑑導の腕を軽く叩いた。

 鑑導はそうされてやっと、ゆっくり身を起こした。少しポカンとしており、呆れたような白けたような表情だった。

「ほら見て、さっきのところ、もうできるようになったよ!」

 鑑導が自分愛しさのあまり、思わず想いを遂げようとしてしまったとは露ほども思っていない。

 大地之助は編んだ鼻緒を無邪気に鑑導の鼻先に近づけた。


「…あ、ああ。そうだな、できてるな」

「もう、僕真剣にやってんだからふざけないでよねー」

「すまん」

 鑑導は我に返ったようで、スッと大地之助の背中から身を離した。

 今の自分の行為にまったく気づいていない大地之助に、安心したような残念なような複雑な気持ちを抱いて、立ち上がる。

「…休憩するか。菓子持ってくらぁ」

「うん!」


 一人部屋に残って、鼻歌交じりにわらじを見つめる大地之助。それを見て江田と田崎はホッとして胸を撫で下ろした。

 鑑導がコトに及ぶのなら、大地之助が傷つく。それに殿との約束を破り、二人の前に飛び出さねばならぬところだった。

 今回は大地之助の鈍感さに感謝した。


 あの様子だと、鑑導は大地之助に特別な思いを抱いていることは確かだ。

 だが大地之助はその気持ちにまったく気づいていない。


 そのうち、油断している大地之助に、鑑導が自分の意のまま無理矢理手篭めにする日が来るかもしれない。

 江田と田崎に新たな不安が生じる。


 しばらくしてお茶とお菓子を持った鑑導が戻ってきた。

 大地之助は笑顔で出迎えて、おやつに舌鼓を打っている。

 その後も注意して鑑導を見ていた家臣たちだったが、その後は特に何ごともなく、大地之助は元気に鑑永寺を後にした。


 江田たちは神妙な面持ちで、昨日と同じように城へと帰る大地之助の跡を気づかれないよう追っていた。

「なぁ…殿にこのこと、全部報告するのか?」

「ああ、そりゃあ…」

 田崎の問いにそう答えたものの、江田は悩んでいた。


 大地之助は殿に内緒で誕生日の贈り物を作っている。

 今見てきたことをお伝えすれば、大地之助が浮気しているかもしれぬと不安がっている殿は安心し、かつ大層お喜びになるだろうが、秘密にしておきたい

大地之助を裏切るようで良心が痛む。


 そして、鑑導に対しても複雑な想いを抱いていた。

 昨日見た時は最悪な印象しかなかったが、大地之助にわらじづくりを教えているところを見ると、怖ろしげな見た目とはうらはらにいいヤツなのではないかという

気がしてきた。

 そうでなければ、大地之助があんなになつくはずがない。


 ただし、大地之助に身を寄せるところを見ると、その思いがいつか暴走するかもしれないという心配がある。

 ただ、鑑導の想いは本気で大地之助を愛していると伝わってくるものだった。

 今まで大地之助を慰み者にした男たちとは違う、大地之助自身を真剣に、大切にしている様子だった。

 相思相愛ではなくとも、その愛情は殿のそれを彷彿とさせるほど深いもののように感じた。

 なので愛する大地之助を悲しませるようなことはしないであろう、と思っても、そこのところは何とも言い切れない。


 あんなに素直で一生懸命で、何よりとても愛らしい大地之助と一緒にいると、鑑導の気持ちは自然の成り行きというか、無理もないというか、とにかく

共感する気持ちも芽生えてきている。


 殿の命は絶対だ。私情で背くなど、徳代家に仕える武士にはありえない。


 だからすべてをありのまま、正確に伝えようと江田は思っていた。

 だが、鑑導の行為を報告するのにどこか躊躇してしまっている自分を否めなかった。


 それは田崎も同じようで、江田は道中何度もため息を聞かされることになった。