殿の誕生日 19
 ずっと気が気ではなかった殿。

 江田と田崎が帰ってくるやいなや、仕事をほっぽり出して尋ねてきた。

 その顔は不安がありありと浮かんでいたため、迷うものの二人は大地之助が何のために鑑永寺に通うのか、ありのままに伝えた。


「…〜―――、大地之助…」

 自分の誕生日のために大地之助がわらじを作っているなんて。殿はやはり大感激している。

「そうか、そうか…私のために、寝る間を惜しんで…何と可愛いヤツ…!」

 ク〜ッ!と目を瞑って身をよじるほど、感極まっている。

「浮気をしているなど、あの大地之助に限ってあるわけがない!誰が言い出したんだ、けしからん」

 あれだけ不安そうだったのに、そうではないと分かったとたん調子づいている殿。

(はっきりと言い出したのは殿ですよ…)

 江田と田崎は心の中でツッコんだものの、もちろんそれを口にできるはずもない。


「そうと知ったら大地之助に早く会いたくなったな。あいつは今どこにいる?」

 キョロキョロと辺りを探し始めた殿に、江田と田崎が慌てた様子で言った。

「ちょ、殿、大地之助殿には殿がこの件を知っていることは言わないで下さいよ。大地之助殿は誕生日に手づくりわらじを渡して、殿を驚かせるんだと大層

楽しみにしているのですから」

「さようでございます、殿はあくまで誕生日当日まで知らない振りをしておいてもらわないと」

 浮かれた殿が大地之助の楽しみを奪ってしまわないよう熱心に忠告する家臣二人。

 さすがに大地之助親衛隊と言われるだけあって、その迫力に殿は少々たじろぎつつ返事をした。

「わ、分かってるよ…で、大地之助は?」

「その前に殿、そのわらじづくりを教えている鑑導のことですが、少し気になることがございまして」

 江田の発言に、隣の田崎は神妙な顔をしている。

「鑑導がどうしたのだ?」

 浮ついた殿は、二人の様子が妙なことに異変を感じて、不思議そうな表情で見つめ返した。

 江田は、鑑導が愛しげに大地之助にすり寄ったことを伝えた。


「……!!」

 当然、自分の大地之助にそんなことをした鑑導が許せず、殿は怒り心頭だった。

「が…鑑導のヤツ、なんということを…!」

 全身を震わせ、固く握られた両の拳は太い血管がいくつも浮き出ていた。

「と、殿、落ち着いて下さいませ」

「落ち着いていられるか!」

 田崎の制止は火に油を注ぐだけだった。興奮状態で殿はまくしたてた。

「そのような人里離れた誰も来ない鑑永寺で、あの男が大地之助を本気で犯そうとしたら…考えただけでも身の毛がよだつ!」


 辛い過去を持つ大地之助がまた同じ目に遭うかもしれないと思うと、殿は憤りを隠せない。

 殿の気持ちは痛いほどよくわかる。江田だって田崎だって、大地之助にはもう二度とあのような悲しい想いはしてほしくない。


 だが、鑑導が実際コトに及ぶかどうかは分からなかった。

 大地之助が好きなら、無理矢理モノにしようとあの男が行動に移すのかという疑問が大きく残る。

 しかしその考えを殿に説明しても、理解してはもらえないだろう。


「よし、大地之助が鑑永寺に行く時は、中条と五代を含めお前たち四人が交代でこっそり見張りに行くのだ」

 そう言われるだろうなぁ、と予想通りの指示を出す殿に、江田と田崎はうなずいた。

「本当は私が自ら行きたいのだが、そうはいかん。隠れて二人の様子を注意深く見ていろ。もし鑑導が大地之助に手を出そうとした時には…手加減することなく

たたき切れ」

 殿の指示には容赦がなかった。

 自分のせいで心身ともに大地之助を傷つけた経験のある殿。

 あの悲劇を二度と起こすことのないよう、最大限の警戒と対処を行うのは当然のことだった。

 大地之助を守るために、今殿や自分たちができること。

 江田と田崎は再びうなずいた。


「あ〜殿、こんなとこにいたんだ。五代さんが探してたよ?」

 そこへひょっこり大地之助が現れたので、殿と家臣二人はぎくりとした。それを見て大地之助も少し驚いた顔をしている。

「…どうしたの、みんな怖い顔して」

 まさか鑑永寺に通っていることを知られ、さらに慕っている鑑導が自分に悪さをしようとした時の対処を話しているとは思ってもいない大地之助。

 殿は何事もなかったように笑った。

「何でもないよ、仕事の話をしていただけだ」

「ふ〜ん」

 殿の返事に大地之助は疑問を抱かず近づいてくる。

 殿は大地之助が自分に内緒で誕生日の贈り物を作ってくれている嬉しさを隠しきれず、その小さな肩を抱き寄せた。

「今日はいつにも増して、なおさら、ますます、一段と大地之助が可愛く見えるな〜♪」


「え、なに急に」

「いやぁ、ほんっっとに可愛くて可愛くて、今すぐ食べちゃいたいぐらいだ」

 殿はいじらしい大地之助を見たら愛しさがこみ上げてきてどうしようもないらしく、ぎゅっと抱きしめた。


 江田は慌てて、そんな殿の袖を後ろから引っ張った。殿が振り向くと、必死な様子で自分の口に人差し指を当てている。

 うっかり殿が鑑永寺のことを言わないかとヒヤヒヤしていて、どうやら『黙っていてくださいよ』ということらしい。

 殿は大地之助に気づかれぬように、声に出さずに『分かっているよ』とわずらわしそうな顔で答えた。


 いきなり殿に抱きしめられた大地之助は、顔をその大きな胸に押しつけられており、苦しさの余り腕の中でもがく。

 なんとか『ぷは』、と顔を上げることができた。

んっ、ホントにどうしたの殿、昨日からなんか変だよ?」

 自分を怪訝そうに見上げるその顔も可愛くて、殿はにんまり笑ってとぼけた。

「そうか?」

「そうだよ、昨日寝る前だって…」

「ふふ、今からあの続きしようか」


 このところ契れぬ日が続いて欲求不満の殿は、今すぐ大地之助と交わりたくて仕方なかった。

 だが、無情にも大地之助はそれを断った。

「ダメだよ。まだお仕事あるでしょ?五代さんが…」

「そんなの、明日に回せばいい」

「ダメだって…あっ!」

 殿は大地之助の身体をひょいっと横向きに抱き上げた。


「江田、田崎。下がっていいぞ」

「ちょっ、殿っ…!」

 大地之助は殿の腕の中で暴れた。だが殿は意に介さないで、そのまま奥の閨に進もうとする。


 下がれと言われた江田たちは、大地之助の言うとおりこれからの仕事が気になるものの、こうなってしまった殿はもうどうしようもないと分かっていた。

 なので、大人しく言うことを聞かざるを得なかった。


 連れ去られる大地之助はなおも身をよじって抗っていた。

「殿、仕事!」

「いいんだいいんだ」

 殿は相変わらずニコニコと笑っており、隅に積み上げられている座布団に大地之助を座らせた。

「大地之助、ん〜」

 膝立ちのまま正面から口づけを迫る殿に、大地之助は両手を殿の口にかぶせて制止した。


「よくない!ホントにお仕事に行ってよ。五代さんが待ってるんだから」

「五代には江田が伝えておいてくれるサ。な、だから…」

 再び迫ってくる殿を、大地之助は冷静な顔で見下ろしながら言った。


「…そんないい加減なことする殿、僕嫌いになっちゃうよ」


「……!!」

 大地之助に嫌われる。

 割れ鐘がガーン!という大音量を響かせて、殿の頭をこだました。


「ね、だから早く五代さんのところに行ってあげて?」

 あからさまに悲痛な面持ちで衝撃を受けている殿の肩を励ますようにさすって、大地之助は仕事に戻るように促す。

「あ…ああ」

 大地之助にだけは嫌われたくない、と、殿は大人しく従った。

 力なく立ち上がってそのまま寝室を出ていこうとしたが、座布団に座ったままの大地之助にいきなり振り向いて言った。

「だが、今夜は!今夜こそはこの続き…するからな!約束だぞ!」

 若干涙目になっている殿を見て、大地之助はクスッと笑った。

「はいはい。いってらっしゃい」

「〜〜〜〜っ…いってきます…!」

 その可愛さに後ろ髪を引かれながら、雑念を振り払うように殿は勢いよく出て行った。

 大地之助は大地之助で、子どもっぽい言動をする殿を愛しく思い、肩をすくめて微笑んだ。


「あれ?殿…」

 殿は大地之助殿のところにいるから…と五代に伝えていた江田は、その殿がズンズンとこちらにやってくるのを見てキョトンとした。

 同じく田崎と五代も驚いている。


「どうしたんですか殿、大地之助殿は…」

「その大地之助に、お前のところへ行けと強く言われたんでね」

 尋ねた五代に、殿は鼻息を荒げて答える。

「さあ、とっとと仕事を終わらせるぞ!でないとあいつが寝てしまうっ」

「…はぁ」

 事情をよく飲み込めない五代は、気の抜けた返事をする。

 そんな五代の襟首を掴んで引きずるように連れて行く殿の後ろ姿を見ながら、田崎が呟いた。

「あの状態の殿を仕事に向かわせるとは…大地之助殿は一体どうやって…」

「おおよそ『そんな殿は嫌い』とか、そんなことを言ったんだろうな」

 ズバリと言い当てる江田に、田崎が言った。

「大地之助殿、最強だな」

 江田が深くうなずいていると、遠くから殿が怒鳴った。

「おい、江田に田崎!お前らも手伝わんか!!」

 二人は心の中で『分かりやすい八つ当たり、ありがとうございます…』と言いながら、殿の元へ駆けて行った。


 そして夜。

 殿と約束したこともあって、部屋に戻ってくることを待ちながら大地之助は眠気をこらえて起きていた。

 …が、やはり猛烈な睡魔の誘惑に負けて、田崎とにらめっこ中に寝ついてしまった。


「……」

 江田の膝枕ですやすやと眠る大地之助を、殿は茫然とした顔で見下ろしている。

「と、殿っ、大地之助殿は今の今まで頑張って起きていたのですよっ?ですが余程眠たかったらしくて…」

「…分かっている」

 大地之助の肩を抱いたまま、擁護する江田からその身を奪い、殿は寝室へ連れて行った。


 再び契りのお預けを食らった殿の心中を察して、家臣四人はこのところ定番になっている言葉を口にした。


「殿…おいわたしや…」