殿の誕生日 22
 待ちに待った殿の誕生日。

 当日というだけあって、城には名だたる大名が次々とお祝いに駆けつけ、城内はてんやわんやだった。

 殿も家臣も城の者全員、朝からその対応に追われて大忙しだ。

 もちろん大地之助も例外ではなく、殿にずっとついて挨拶や接待三昧だった。


 だが、内心とても焦っていた。

 というのも、肝心のわらじがまだできあがっておらず、鑑永寺に行って早く仕上げたいのになかなかその時間がとれない。

 どうにか抜け出せないものかと、大地之助はずっとそわそわしていた。


 忙しい合間を縫って厠へ入った殿を廊下で待っていると、五代がやってきた。

「殿は中におられるのかい?」

「うん」

 返事をしているところに殿が出てきた。

「殿、滝川様がお見えです。大広間にお通ししておりますのでお急ぎを」

「ああ。大地之助、おいで」

 大地之助の肩を抱いて殿が歩を進めようとすると、五代が止めた。


「あ、大地助殿はちょっと…」

「?なんだ?」

 五代は大地之助をチラリと見ながら、言いにくそうに言った。

「いえ…滝川様は大地之助殿にはご遠慮していただきたいらしく…」

「大地之助がいるとダメなのか?」

 大切な小姓を追い払うようなことを言う滝川に、あからさまに心証を害した様子で殿が尋ねる。

「いえ、ダメというか…あの、殿、ちょっとお耳を拝借」

 そう言って五代は殿に何やらぼそぼそと耳打ちした。


 大地之助は、何だろうと思いながら二人を見つめていた。すると殿がガバッ!と五代から身を離した。

「なんと…!」

 殿は心なしか顔が紅潮している。どうやら五代から聞いた話で興奮しているようだ。


 五代は少し口元を緩めている。

「ね、ですから…」

「そうかそうか、なら早く…」

 大地之助は何のことで二人が盛り上がっているのか分からなかった。

 殿はくるりと大地之助の方へ振り返った。その顔は五代と同じようにほころんでいる。

「大地之助、私は滝川に会ってくるから、休憩しておいで」

「…うん。いいけど何なの?ニコニコして…」

 殿はそれを聞いて一瞬言葉に詰まったが、相変わらず笑っている。というかニヤニヤしていると言った方が正しい。

「お前もいずれ分かるさ」

 そう言って、殿はく〜〜〜っ!とたまらない様子で五代の腕を肘でつついている。五代も意味ありげにニヤニヤしていた。


「ささ、朝早くからバタバタで腹も減っておろう。早く行っておいで」

「…うん」

 不審な点はあるものの、休憩を与えてくれたことによってやっと鑑永寺に行く時間ができた。

 大地之助はホッとして、会ったこともない滝川に感謝した。


 大地之助と別れて大広間に向かいながら、殿は五代に言った。

「きっとこの間にあいつは鑑導のところへ行くだろうな」

「ええ、まだわらじは未完成ですからね。しかも通うのが最後の日ですし」

「最後の日…あの住職が今までの想いを我慢できずに、大地之助に手を出すかもしれぬ。おい五代、お前はすぐに跡をつけろ」

「…そうしたいのですが…」

 五代は言いにくそうに殿を見上げる。

「こう城への訪問者がひっきりなしではなかなか…仕事が山ほどありまして、手が空きそうにないのです。この後もお待ちいただいている謁見者の対応が

五件あります」

「中条たちは?」

「同様にてんてこ舞いでございます…」


 殿は考えた。大地之助も心配だが、忙しい中わざわざ自分のために駆けつけてくれた大名たちに、無礼な真似はできない。

「では、ある程度仕事に目処がついた時点でいいから、必ず鑑永寺に向かえ」

「はっ」

 そして殿はホクホクしながら、滝川に会いに急いで廊下を進んだ。


 大地之助は大急ぎで鑑永寺に向かった。

「遅かったじゃないか」

 鑑導はいつも通り、玄関で出迎える。

「…っ、うん、殿の誕生日だからたくさん人が来て大忙しで、なかなか抜けらんなくて…っ」

 ハァハァと息を切らしながら、大地之助は持っていた風呂敷を鑑導に渡した。

「ハイッ」

「なんだこりゃ?」

「おにぎり!お城の人用にたくさん用意してくれてたから、こっそり鑑さんの分ももらってきたんだ。一緒に食べようっ」

 大地之助は、にぱっと明るい笑顔で言う。


 こんなに息を切らせて駆けてきたのは、自分と一緒ににぎり飯を食べる時間が欲しかったからなのか。

 鑑導は急激に、抑えていた大地之助への恋情がこみ上げてきた。


「……」

 ぬっと両腕を伸ばす。

 草履を脱いで玄関に上がる大地之助を思わず抱きしめそうになったが、すんでのところで自分を制した。

「…なに?」

 鑑導の腕がこちらに伸びてきたもののそれが動かないので、大地之助はきょとんとした表情で見上げた。


 この子どもはもう明日からここへは来ない。

 大好きな殿へのわらじができあがったら、自分は用無しなのだ。


「……」

 何も言えない鑑導を、大地之助はそのまま不思議そうな顔で見上げている。

 それを見ているとますます切なくて、鑑導の胸は締めつけられた。


 行き場のなくなった手をどうしようかと迷った挙句、鑑導は突然大地之助の髪の毛をわしゃわしゃっとかき混ぜた。

「わー、な〜にすんだよっ」

「わはは、お前の頭、前からこうしてみたかったんだ」

「痛いよ鑑さんっ。やめてよぉ」

 大地之助は目を瞑って、鑑導の大きな手から逃れようと必死でもがいている。

「あー撫でやすい頭してんなぁ。おでこも立派だし、いい形してるぜ」

「やめろってばぁっ」

 ぴしゃぴしゃと額を叩く鑑導を大地之助はイヤイヤと首を振りながらすり抜けて、一人で中に入っていく。


「すまんすまん」

「も〜」

 クスクスと笑いながら追いかける鑑導の胸は、切なさでいっぱいだった。


 その後昼食をとった二人は、大急ぎで殿のわらじづくりを始めた。

 そして…。


「できたっ!!」

 高らかに大地之助が叫んだ。

 初めて自分で作ったわらじ。大好きな殿へと思いを込めて編んだため、感激もひとしおだった。

「ん〜〜〜〜!!」

 大地之助はできあがったばかりのわらじを、愛しそうにぎゅっと抱きしめた。


「上手にできたな。間に合ってよかった」

「うん!…ふふ、渡したらどんな顔するかなぁ殿」

 キラキラした瞳で頬を紅潮させ喜ぶ大地之助を見て、微笑ましい気持ちになる半面、もうこうやって会えなくなることの寂しさを痛感し鑑導は複雑だった。


「鑑さん、ありがとう。本当にありがとう!」

「…いや…」

 素直に何度も礼を言う大地之助をまっすぐに見られず、鑑導は目を逸らした。

 そろそろ、別れの時が近づいてきたようだ。


 寂しさをこらえて、鑑導は大地之助に言った。

「ほれ、早く城に帰って、殿サンにお渡ししろ」

「ん…あ、鑑さん。もうちょっとここにいてもいい?もう一つやりたいことがあるんだ」

「?どうした?」

 大地之助の頼みに、鑑導は意外そうな様子で聞き返した。

「殿にお祝いの言葉を書いたお手紙を渡したくて…ここで書きたいんだ。いい?」


「あ、ああ…」

「やったぁ!」

 大地之助は素直に喜んでいる。

 愛しい大地之助ともう少しだけ一緒にいられる。つかの間だろうが、鑑導は嬉しかった。


 鑑導が用意した紙と筆に、大地之助は殿へお祝いの言葉をしたため始めた。

 それを上から覗き見て、鑑導は笑う。

「…お前、字ぃヘっタだなぁ〜〜」

「!」

 大地之助はガバッと見上げて鋭く睨んだ。

「…気にしてるのにぃ〜…言わないでよ」

「ちょっと手本見せてやる」

 そう言って鑑導は、別の紙にスラスラと文字を書いた。


 『大地之助』と書かれたそれは、達筆で非常に美しかった。

「わっ、すごい!鑑さん、わらじづくりだけじゃなくて字もすごく上手なんだ、意外!」

「この道に入った時、みっちり教えられたんだよ。それよりお前意外ってなんだ、失礼だな」

「へへ、だって…」

 大地之助は自分の名前の文字をまじまじと見つめた。

 大柄で強面の鑑導が、こんなに繊細で綺麗な文字を書くなんて。やっぱり意外だった。


 ふと、この文字に見覚えがあるような気がした。

「もしかして…このお寺の入口にある表札って、鑑さんが書いたの?」

「ああ、そうだ。雨風で消えかかってんのに、よく気づいたな」

 初めて来た時から表札の字が美しいと思っていた。確かにボロボロではあったが、それでもそう思えるほど際立った上手さだったのだ。

 それを目の前のこの人が書いたなんて。

 大地之助の目はますます鑑導に対する尊敬の念で輝いている。


「ねえ鑑さん、綺麗な文字書けるように教えてー」

「あ?」

「だって僕本当に下手くそだもん。せっかくなら少しでも綺麗な字で手紙書きたい…」

 筆を持った大地之助に上目遣いで頼まれ、鑑導は少し顔を赤らめて答えた。

「ったくしょーがねーな、こんな下手っぴな文字見せられたら断りようがねーや」

「ぶっ…下手っぴは余計だよ!」

「さっきのお返しだ」

 片目を瞑って切り返す鑑導に、大地之助は『べーっ』と舌を出す。


「あっ、いいのか先生に無礼な真似をして。そんな生意気な生徒には教えませんよー」

「ごっ…ごめんなさい先生、もうしませんから教えてください!」

 真面目な顔をする大地之助が可笑しくて、鑑導は笑った。大地之助もつられて笑う。

「まずは『殿』って文字からな」

「はい!」

 二人は机に向かって文字を書き始めた。