殿の誕生日 23
「は〜…」
大地之助は鑑導に教えられて書き終わった手紙の文字と、最初に書こうとしていた手紙の文字とを見比べて、その違いに自分で感嘆の声を漏らした。
「すごい、短時間でこんなに綺麗になった!」
鑑導に手紙をヒラヒラと示して、大地之助は満面の笑みを浮かべる。
「先生がよかったからだな」
ニヤリと笑う鑑導に、大地之助は素直に同意した。
「そうだよ、わらじづくりの時も思ったけど、鑑さんって人に教えるの上手いよ」
「……」
鑑導はそう言われて顔を赤らめた。
「あ、褒められて照れてる〜」
いたずらっ子のような顔で胸をつついてくる大地之助に、鑑導はさらに頬を真っ赤にして言った。
「よせよ、大人をからかうなっ」
「でも教えるのが上手なのは本当だよ?」
大地之助はご満悦な表情で手紙に視線を移した。
その時、鐘の音がかすかに聞こえてきた。昼八つを知らせるものだった。
鑑導は、あ、といった様子で言った。
「大地之助、まだ時間あるか?」
「うん、大丈夫だよ」
「そりゃよかった」
これだけ大地之助と共にいたことで、さらに別れを惜しむ気持ちが増していた鑑導は、あきらめていたあることを提案した。
「お前の大好きな三浦堂のまんじゅうにな、今日から栗入りの新作が出たんだ。午前中に買いに行ったんだが売り切れてて、昼八つ以降なら用意してくれてるって
言われてよ、実は予約してきてんだ」
「ほんと!?」
大好きな三浦堂のまんじゅうと聞いて、大地之助は心底喜んでいる。
「お前がわらじづくりの後すぐ帰るって言ってたらあきらめてたんだが…今から取りに行ってきてもいいか?」
「あ、僕も一緒に行く」
そう言って立ち上がろうとした大地之助を、鑑導が制した。
「いいよ、オレ一人で行く。お前とオレが町中に下りたら騒動になりそうだから、ここで待ってろ」
鑑導と会っていることは、今のところ万次郎を除いてみなに秘密にしている。確かに言う通りだと思い、大地之助は同意した。
「そうだね…」
少し残念そうな大地之助の顔を見て、鑑導は言った。
「なるべく早く帰ってくるから。もしも変な連中が来たら、納戸に隠れて静かにしてやり過ごせ。あそこは内側からも鍵がかかるから。分かったな」
「うん。気をつけてね」
そして鑑導は急いで城下町の三浦堂に向かった。
「……」
一人取り残された大地之助は窓際の机に向かったまま、今しがた書いた殿への手紙を手にとった。
「フフッ」
(鑑さんのおかげで綺麗に書けた!普段なら字が汚いって言ってる殿、びっくりするだろうなぁ)
大地之助はその様子を思い浮かべて小さく笑った。
「あっ」
その時、あることが頭にひらめいた。
大地之助はおもむろに新しい紙を用意し、筆に墨をつける。そして口元をほころばせて、筆を走らせ始めた。
思いついたことを実行に移し、することがなくなった大地之助は、机に向かったままボーッとしていた。
窓から差し込む陽の暖かさが、ぽかぽかと身体を優しく包み込んで気持ちいい。
日ごろの睡眠不足も手伝って、大地之助は次第に眠りに引き込まれた。
その頃、鑑永寺に近づく不審な五つの人影があった。
「鑑導のヤツ、いますかねぇ」
「いるだろう。あいつはめったに外に出るこたぁねぇんだ。久々に小遣い稼ぎさせてもらわないとな」
「あいつったら堅気のくせにドスが利いてるっつーか、やたらと迫力ありますよねぇ」
「こいつなんて、毎回ここへ来ることさえビビっちまってるよなー、そう思わねぇか乱次」
乱次と呼ばれた男は、一番下っ端のヨタ吉に鼻を鳴らしながら言った。
「お前も一応筋モンの端くれなら、あんな坊さん一人にビビんじゃねぇよ」
「へい〜」
ヨタ吉は肩をすくませて返事をした。
この男たちは、鑑導が過去に金を借りたことのあるやくざ者の一味だった。
属している組織は大きかったが、下層のチンピラであった。
組織の掟で勝手な行動は許されていない中、乱次たちは上層部の目を盗んでは内緒で小遣い稼ぎをしていた。
その一つがとうに金を返している鑑導を標的にして、利子がまだだと難クセをつけ、鑑永寺に取り立てにさいさいやってくる、というものだった。
五人は大地之助が一人眠る鑑永寺に、足音を忍ばせて近づいていった。
「……」
バカに勘のいい鑑導に気づかれると逃げられてしまうので、なるべく静かに寺へ上がり込む。
この中で一番の兄貴分の乱次が声をひそめた。
「奥の部屋だ」
手下どもは黙ってうなずいた。
「……?」
一味が辿りついた奥の部屋。
そこに少年が一人、窓際の机に伏せている。よく見ればその子どもはすやすやと眠っていた。
「乱次の兄貴、あれ誰…」
「しっ」
乱次は子どもを起こさぬよう、小さく言った。
「寺小姓か…?」
「それって、坊さんどものアッチの相手をするアレですか?」
多平の言葉に乱次はうなずく。
仏道に入った男は女人に触れることが禁じられているため、寺には僧侶の性欲処理に、男の子をそう言った相手に据えている場合が往々にしてあった。
この鑑永寺にはいなかったのだが、大地之助を寺小姓と勘違いしたチンピラ達は色めきたった。
乱次と同期の鹿蔵はニヤリと笑って言った。
「へ〜、前来た時はいなかったのにな」
「どれどれぇ?」
長身でかつ体格の良い六三郎が大地之助に近づく。
それに続いて、全員がわらわらと少年に群がった。
そんなことにまったく気づかず、大地之助はぐっすりと深い眠りに落ちていた。
「おいおい、なかなか可愛いガキじゃねぇか!」
その寝顔を覗き見て、乱次は感嘆の声を漏らした。
「どこで見つけて来たんだ〜?鑑導の野郎」
「あんな顔して、ちゃっかりヤることヤッてんすねぇ〜」
チンピラどもは下卑た口元をだらしなく緩めて盛り上がる。鹿蔵が大地之助の袖の裾を持ち上げて言った。
「こいつ…かなり上等なもん着てるぜ」
「本当だ。絹ッスよこの糸」
「金がないって言ってるクセに、こいつにはこんな贅沢に金使ってんですね。鑑導はかなりこのガキに熱を上げてると見えますぜ」
鹿蔵に続いてヨタ吉と多平がそう言うのを聞いて、乱次はあることを思いついた。
「…この寺小姓、小遣い稼ぎに使えそうだな」
不敵に微笑む乱次を、みな一斉に見た。
「こいつを陰間茶屋に売りに行こう。こいつなら高く売れる。しかもかなりの人気陰間になるだろうから…その売上金をオレたちが茶屋からもらうと、いい
金ヅルになるぞ」
「いいっスね!!」
「それに、可愛がってる寺小姓をそんなとこに連れてかれたなんて知ったら、あの生意気な鑑導が慌てふためくだろうしな」
乱次の提案に、男たちは痛快そうに笑う。
「へへ、その顔見てみてぇな」
「泣いちゃったりして」
「げ〜、気持ちワリィ!!」
乱次と鹿蔵は顔を合わせてゲラゲラと大笑いした。
「こんだけ騒がしくしてても、鑑導が出てこないところを見ると、どっか出かけてんでしょうね」
「ああ…それにこのガキも起きねぇな」
「もしかして一晩中お愉しみだったんですかね〜?」
「ありうる!くそ、ますますムカつくなあの坊主!」
仲間たちが楽しげにそう言い合うのを見て、乱次がまたもや口の端を吊り上げて不敵に微笑んだ。
「そうだなぁ…こいつ…陰間茶屋に連れてっちまう前に、オレたちがここで輪姦しちまおうぜ」
「えっ、マジっすか!」
「おお〜、そりゃいいや!!」
「やったぁ!!」
六三郎とヨタ吉、多平は手を叩いて大喜びしている。だが鹿蔵だけが渋い顔をしていた。
「え〜、いくら可愛いったって男だろ?オレ女だったら喜んで参加するけど、それは…」
乱次は鼻で笑いながら言った。
「な〜に、そう言うヤツほど一度ガキの味を覚えたら病みつきになるんだよ」
そこにヨタ吉が興奮気味に入る。
「そうでさぁ!オレなんか乱次の兄貴に陰間茶屋に連れてってもらって以来、女が抱けなくなっちまって…それぐらいハマりますぜ?とにかく具合が最高ですし、
男のツボを心得てるからか天にも昇る気持ちよさですよ!!」
鹿蔵は乱次たちにそう言われても、いまいち気乗りのしていない様子だった。
「イヤなら見てろ」
そんな鹿蔵を一瞥して、乱次は大地之助に向き直った。
いよいよこの少年を犯せる。
あの鑑導が大切にしている少年を、ひどい目に遭わせられる。
男どもは異様な興奮に包まれていた。
「まずは、お目覚め頂かないとな」
乱次は机にうつ伏せて寝ている大地之助の頬を、指で軽くつついた。
「ん…?」
長いまつげをたたえるまぶたをゆっくりと開いて、大地之助は目覚めた。
「…か…かわいい…」
「ホントだ…」
その顔を見て、チンピラたちは思わずため息をついた。
「…?…」
寝起きでぼんやりしている大地之助は、見知らぬ男たちが周りにいることをいまいち認識できていない。
「おはよう」
突然、目の前の若い男が笑いながら顔を覗きこんできた。大地之助は一気に目が覚めた。
「!!」
「オレたち、鑑導の友達だよ」
「っ…」
見るからにガラの悪そうな連中。こいつらが鑑導の友人などではないことなど、すぐに分かった。
きっと、前から話に聞いていた、しつこくこの寺へやってくるという借金取りだ。
(くそ、眠ってて気づかなかった。逃げなきゃ…!)
大地之助はすぐさま立ち上がった。
すると、目の前の男も同じように立ち上がる。それはゆらりと、まるで自分を威圧するようなものだった。
大地之助の全身が緊張でこわばる。
「まあまあ、そんな怖い顔しなさんなって」
そう言いながらも男はますます迫ってくる。
部屋の入口は男たちの後方にあり、簡単には逃げられそうにない。
男は自分を捕えようとしているのか、ゆっくりと手を伸ばしてくる。大地之助は一段と緊張した。
思わず後ずさりすると、トン、と何かが背中全体に当たった。
そしてすぐさま、背後から大地之助の肩に大きな手が置かれた。
「っ!」
後ろにも誰かいる。
肩に乗せられた手はずいぶんと大きく、大地之助は肩と言わず二の腕までもすっぽりと包まれていた。
怖ろしくて振り返ることができない。見えずとも、かなり体格のいい大男がいることは明白だった。
前も後ろも、完全に退路を断たれてしまった。前も封じ込められている。
視界の中の男たちは、どいつもこいつもニヤニヤと目元や口元を醜く歪ませて笑っていた。
大地之助にとって、男のこんな表情にはイヤな思い出しかない。
こいつらは、自分を捕えてどうしようというのだろう。まさか…。
怖くて怖くて、大地之助の身体は自然に震え出した。
