殿の誕生日 25
「オレは何をされてもいい。でも大地之助は…大地之助にだけは、何もしないでくれ…頼む…!」

 悲痛な面持ちで哀願する鑑導。乱次はますます可笑しげに笑いかけた。

「そんな風に言われたら、ますますこいつをいじめたくなるんだよなぁ」

 そして大地之助に向き直り、自分の勃起した魔羅を露出した。

「…可哀想に。『鑑さん』があんなこと言うから、慣らさずにいきなり突っ込まれるハメになったな」


「……!!」

 大地之助は凍りついた。ずい、と乱次が開かれた脚の間に侵入する。


「やめろぉ!!」

 鑑導は大地之助を助け出すために拘束から逃れようと、巨体を揺すった。

「くっ…!」

「こいつ、なんて馬鹿力なんだっ…!」

 鑑導の抵抗はすさまじく、三人がかりでも抑えかねている。

 大地之助を抑え込んでいた鹿蔵が、子分たちが手こずっているのを見かねて鑑導の元へ向かった。


「やめろ、大地之助を離せ!」

「…お前は何をされてもいいって言ったっけな」

 鹿蔵は叫ぶ鑑導の目の前まで進んで、帯のドスを抜いた。そして六三郎に鑑導の右手を差し出させる。

「なら、ご自慢のわらじづくりができないようにしてやろう」

 鹿蔵は抑え込まれた手の人差し指にドスをあてがった。


 鑑導はそれでもいいと思った。大地之助が何もされないで済むのなら。無事なのであれば、指の一本や二本、惜しくなかった。

 覚悟を決めて歯を食いしばった。


「!!!!!」

 大地之助は涙で潤んだ視界の中で、その様子を見ていた。


 鑑さんの指がはねられてしまう。

 わらじづくりの上手な、鑑さんの指が。

 美しい文字を書ける、鑑さんの指が。

 自分の頭をくしゃくしゃに撫でた鑑さんの指が。

 優しく面倒を見てくれた鑑さんが、傷つけられようとしている。


「いやだ、いやだ鑑さん!!やめろぉ!!!」

 大地之助の叫びに、乱次は鑑導たちを振り返って笑った。

「おお、そっちはそっちで遊んどいてくれよ。オレはこいつで愉しませてもら」


 乱次の言葉が突然途切れた。

 異変を感じて鑑導たちが乱次を見ると、その喉元に短刀の鋭い刃先が突きつけられていた。


 短刀を手にしているのは大地之助だった。

 乱次がよそ見をした隙に、その懐から覗いていた短刀を瞬時に抜き去り、首を狙ったのだ。

 ほんの少しでも乱次が動けば、喉笛をかき切られそうなほど刃が間近に迫っていた。


 大地之助は押し倒された体勢からゆっくり半身を起き上がらせ、唸るような声で言った。

「鑑さんを離せ…!」

 乱次をはじめ、チンピラどもはみな息を飲んだ。思いもよらない大地之助の反撃に、全員動揺して動けなかった。

「早く…鑑さんを離せ!!」

 大地之助は射るような瞳で、鑑導を捕えている連中に命じる。


「お、おいガキ…そんな危ないもの、お前が怪我しちまうぜ。大人しく…」

 喉元に鋭い刃先が光るのを感じながら、乱次は怖る怖る大地之助をたしなめた。


 鹿蔵はこの状況に困惑しながら、隙を見て鑑導の指を切り落とそうとドスを固く握りなおした。

 大地之助はすぐに気づいて大きな声で叫んだ。

「動くな!!」

 そして、喉元に突きつけていた刃先を、その首筋にぴたりと押し当てた。

「……!!」

 場所は頸動脈のごく近くで、大地之助がドスを引けば、たちまち致命傷を負ってしまうのは明白だった。

 乱次は生きた心地がしなかった。


「鑑さんを傷つけるな…こいつがどうなってもいいのか」

 激しい怒りに包まれた大地之助の瞳は鈍く光っていた。鑑導をこんな目に遭わせている乱次たちを殺すことなど厭わない、情け容赦のない目だった。


「……」

 チンピラどもはみな一様に固唾を飲んだ。

 こんなガキに…と思っても、大事な者を傷つけられそうになって憤怒している大地之助の迫力に、誰一人としてその場から動けなくなっていた。


「…大地之助は本気だぜ」

 鑑導は四人に押さえつけられたまま、チンピラたちに告げた。

 その時、突然鹿蔵が素っ頓狂な声を上げた。

「おっ…おっ…思い出した…!!」

 仲間たちは鹿蔵を見つめる。鹿蔵は慌てふためいた様子で続けた。

「だっ…大地之助っていやぁ、徳代家の殿サンの…小姓の大地之助じゃ…!!」


「なんだって!?」

「ま、まさかこんなところにいるわけが…」

 多平と六三郎が驚いてざわめく中、鑑導が静かに言った。

「そうだ。こいつは寺小姓などではない。殿サンの寵愛を一身に受ける、徳代家のお小姓だ」

「!!!!!」


「ぅ…嘘だろ…」

 それを聞いて乱次は思わず呟き、大地之助の方にちらりと視線を移した。

 大地之助は何も言わずに、刺すような視線で乱次を捕えていた。


 鑑導を抑えつけていたヨタ吉が、先ほど自分たちが脱がせた大地之助の着物を怖る怖る床から拾い上げた。

 それを見て震える声で言った。

「ほ、本当だ、これ…」

 襟元に刺繍された家紋。それは間違いなく、徳代家のものだった。

「ヒ、ヒィィ!!!」

 ヨタ吉は手にしているのも怖ろしくなって、着物を床に投げ捨てた。


 鹿蔵は鑑導から離れ、大地之助に捕らわれている乱次に訴えた。

「乱次…オレら、親分から御上にはくれぐれもたてつくなって言われてる…こりゃヤバイ、ヤバイぜ…」

 乱次も額に脂汗を浮かべて窮していた。


「しかも殿サンが大事にしてるお小姓にこんな真似したなんてバレたら、腕や脚の一本じゃすまねぇかも…」

「…か、勝手に小遣い稼ぎしてることも…バれちまうよー!!」

 鹿蔵の言葉に続いて、自分たちがしでかしたことの重大さに、ヨタ吉が頭を抱えながら床に伏して絶望していた。



 とうとう乱次は観念した。

「わ、分かった…お前ら、鑑導を離せ…」

 チンピラたちは大人しく従い、鑑導を解放した。それをしっかりと見届けて、大地之助はゆっくりと乱次から短刀を離した。

 だが乱次がこの後どう出るか分からなかったため、警戒は怠らず切っ先は鋭く彼に向けたままにしていた。


 解放された乱次は、先ほどまで短刀が突きつけられていた首筋に触れながら、仲間に告げた。

「…帰るぞ」

 それはいつもの乱次からは想像できない、弱々しく力のない声だった。

 チンピラたちは、徳代家の報復や自分たちの組織から厳しく懲戒されることを怖れながら、大人しく帰っていった。


 乱次たちが寺から出ていった後、鑑導は静かに口を開いた。

「おい、大丈夫か大地之す…」

「鑑さん!!」

 大地之助は乱れた着物のまま、鑑導へ駆け寄った。

「鑑さん、大丈夫!?」

「…あ、ああ、オレは大丈夫だけ…」

「怪我は?指は…っ!?」

 乱暴されかけて人のことどころではないだろうに、大地之助は鑑導の方を優先していた。


 鑑導は心底心配そうに自分を見つめる大地之助が愛しかった。また、心配されているのもなんだか無性に嬉しい。

 そんな気持ちから、自身の中に、もうちょっと心配してもらいたいという思いと、またからかえるのも今日が最後だし…といういたずら心が芽生えた。


「ぅ〜…」

 鑑導は顔を歪めて前のめりになる。もちろん演技だ。

「っ!どうしたの!?」

 そうとも知らない大地之助は、鑑導の腕を支えて顔を覗きこんだ。

「指が…」

 そう言って先ほどチンピラたちにドスをあてがわれた右手を示す。

 緊迫して大地之助がそこを見ると、中指の第二関節から先がなかった。

「!!!!!」

 大地之助の顔から一気に血の気が引いた。

 鑑導は思惑どおり上手くだませたと内心クスクス笑いながら、このままだと可哀想なのでネタばらしした。

「嘘だよ〜、指は中に折り曲げてただけでしたー。ほぉ〜ら無傷無傷」

「……」

 満面の笑みで右手をぐっ、ぱっ、と何度も開閉してみせたが、大地之助はまったくの無反応だった。

 …というか、固まっていた。

「あれ…」

 その様子に鑑導は戸惑って、大地之助の顔の前で手をヒラヒラと振った。

「どーしたー大地之助ー。おーい…」

 その途端、大地之助がぐしゃん!と床にすごい勢いでへたり込んだ。


「お、おい大地之助!!」

 慌てて鑑導が支えると、大地之助がやっと喋った。

「ほっ…本当に…っ、本当に切られたのかと思ったじゃないか―――っ!!」

 ポロポロと涙をこぼして、うああん、と泣き叫んでいる。


「っ、が、鑑さんが、ぅぐっ、もうわらじづくりができなくなるって、もう、ひくっ…字が書けなくなるんじゃないかって、…ぅ、うぅ、思ったじゃないか〜!!」

 大地之助は拳を作って、ポカポカと鑑導のぶ厚い胸を叩いた。

「ひどいよっひどいよっ!鑑さんの馬鹿ぁ!!」

 顔をくしゃくしゃにして、大地之助は泣いている。鑑導は慌てて詫びた。

「す、すまん大地之助っ…ほんの冗談のつもりでやっただけなんだ、そんなに怒るなよ」

 小さな肩をさすりながら、必死になだめる。

「ひっ…鑑さんの冗談は、ちっとも笑えないんだってば――!ぅぅ――っ!」

 大地之助はすがりつくように鑑導の懐に飛び込んで顔をうずめた。

「すまん、本当にすまん、悪かった!」

「ぅぐ、えっく、うぅぅっ」

 悪い冗談で自分をだましたことに腹は立つものの、大好きな鑑導に怪我がないことに大地之助は心底安堵していた。

 泣きじゃくりながら鑑導の胸に顔をすりつける。これは大地之助なりに鑑導の無事を確かなものとして認識するために、無意識で行われている行為だった。


「ぅぅ、ふっ…くぅっ…」

 小さな背中が腕の中でヒクヒクとわなないている。

 鑑導は狂おしいほどの愛しさに、胸が締めつけられた。だがそれを振り払うように目を閉じた。

「すまなかった…大地之助…」

 そして、嗚咽と共にしゃくり上げる子どもを、優しく抱きしめた。