殿の誕生日 26
 それから。

 少し落ち着いた大地之助は、着物をきちんと着なおして座っていた。

 泣きやんではいるものの、腰を抜かした恥ずかしさも手伝ってまだ怒っているようだ。ムスっとして押し黙っている。


 鑑導は、三浦堂の栗まんじゅうとお茶の入った湯呑みを手渡した。

「ほら、お前の大好きな甘いもんでも食べて、機嫌直してくれよ」

 大地之助はむくれ顔のまま、おもむろにまんじゅうに手を伸ばしてかぶりついた。

「うまいなーこのまんじゅう!!」

 気まずくて場を盛り上げようと鑑導が大げさに言うと、顔は怒っているが素直にこくりとうなずいて同意した。


 どんなに不機嫌でも、こういうところがこいつなんだよなぁ、と思った鑑導は、その可愛さにぷっ、と吹き出した。

 思わず笑ってしまって鑑導は慌てて口を押さえた。

 反省していないと思われて、また怒られるんだろうか…とそのまま大地之助を怖る怖る見ると、しっかりこちらを見つめている。

 だがその顔は怒るというよりも、どちらかというと笑いをこらえているような表情だった。

 あたふたとしている自分を見て、大地之助の怒りも和らいできたらしい。鑑導はホッとした。


 大地之助の目の前で同じように栗まんじゅうを食べながら、鑑導は少し話を変えようと、お茶を一口すすって話し始めた。


「オレなぁ、最初はお前にこの寺に出入りされるのがすげぇイヤでよ」

 大地之助の肩がピクリと揺れる。

「殿サンのお小姓なんざ、殿サンの権力をカサにきた高慢ちきで鼻もちならないガキだろうって思っててよ。今まで好き勝手に過ごしてきたオレ様が、なんで

そんなヤツのわがままにつき合わなきゃなんねーの、冗談じゃねぇって気に食わなかった」

 それは大地之助もここへ来た当初そう思われていることに気づいていた。だが、改めて口にされると傷ついてしまう。


 幼い顔が暗く曇ったことが分かっていた鑑導は、それでも感じたままの言葉を飾らずに続けた。

「だから、痛い目に遭わせてここへ来なくなりゃいいって脅かしたんだが…これがオレの計算違いで、お前ってば怒らせたら怖いのなんの、逆に返り討ちに

あいそうになった」

 たはは、と困ったように笑う鑑導。大地之助は寂しそうではあるものの、それにつられて少し口元をゆるめた。


「しかし、お前って怒らせるとホントこえぇよな。殿サンのご威光が決定打とはいえ、タチの悪い連中がお前の迫力に圧倒されてんの見て実感したぜ」

 鑑導がそう言った途端、大地之助の顔がこわばった。湯呑みを持つ両手が白くなって、無意識に力が入っているのが分かった。


「僕、あんなことする人たち大嫌いだから…」

 『あんなこと』とは、無理矢理慰み者にしようとしたことだろう。

 気丈に答えたものの、大地之助は恐怖と怒りで震えている。

「大地之助…」

 やはり、大地之助はこういったことで辛い思いをしたことがあるのだ。きっとそう遠くない過去に。

 そしてそれは今でも大地之助を苦しめ続けている。


 鑑導は大地之助の隣へ行き、寄り添った。何も言わずにそのまま背後から回した手で、ぽんぽん、と頭を撫でた。

「オレも、お前にひどいことしたな…あん時ゃホントにすまねぇことした」

 大地之助は鑑導を見上げる。この人はもしかして、自分に消したい記憶があることを前から気づいていたのだろうか。

「もう、大丈夫だ。お前は自分の身とオレを守るために、よくやった。もう二度とあんなことは起こらない。もう二度とな」

 頭に触れる鑑導の手は大きくて、また自分を見つめる瞳はあたたかくて、大地之助は多大な安心感に包まれた。

 鑑導が暗に元気づけてくれているのも分かって、たちまち涙がこみ上げてきた。


「おい、どうしたんだよっ」

「…だって…鑑さんが優しいからっ…」

「なんだそりゃ」

 ポロポロと流れる涙を手のひらで拭う大地之助を見下ろしながら、鑑導は少し呆れつつ微笑んだ。


「泣き虫だなぁお前」

 大地之助の頬の涙を指で拭ってやる。

「そんなくせに、一丁前に気が強くて…ったく、変なガキだぜ」

 大地之助は、すん、と鼻をすすり上げながら鑑導を見上げた。またしても胸が締めつけられるような感覚になり、鑑導は思わず呟いた。

「そんな顔すんなよ…オレ、お前のその顔に何回コロッと参りそうになったと思ってんだ…」

「え?」

 聞き返されて、鑑導はハッとなった。自分が口にしてしまったことを改めて考えると、とても恥ずかしかった。


「『コロッと参る』って?何のこと?」

「っ…」

 そんな鑑導の気も知らず、何のことかよく分かっていない大地之助は問いただしてくる。鑑導は答えに窮した。


 心なしか鑑導が赤面して見えるのが不思議で、大地之助はじっと見つめている。

 困り果てた鑑導は、ガバッと身を起こして目の前の少年の身体をくすぐり始めた。

「うりゃっ!!」

「わあっ、何すん…あはは、やめてよぉっ!」

 首筋をこちょこちょとくすぐられて、大地之助は笑いながら肩をすくめた。


「そうだ、笑え!そうやって笑ってんのがお前らしいんだからよ!」

 さっきの話をすっかり忘れさせようと、鑑導は大地之助の腋の下を着物の上から本格的に刺激し始めた。

「ひゃは、やめてってば…わははは!…あー、もうっ!」

 しつこい鑑導に、大地之助は負けてたまるかと反撃する。

「おわっ!?ぎゃはは!!…やめろぉ、オレは腋は人一倍弱いんだ!」

 狙ってくれと言わんばかりのその言葉に、当然大地之助は鑑導の腋の下を一点集中で攻めた。


「だ―――はっ!」

 奇声を発しながらそこを守るため必死に身をかがめる鑑導の隙をついて、綺麗に剃髪された頭を大地之助はぺんぺんと軽く叩いた。

「!?」

 鑑導が身体を起こして大地之助を見上げると、得意げな笑顔で言った。

「前からこうしてみたかったんだよね〜」

 目元をニヤリと緩ませ、しししし…と歯を見せていたずら小僧そのものの顔で笑っている。

 その台詞で、今日ここへ来た時に髪をくしゃくしゃにされた逆襲と気づいた。鑑導はぐぬぬ、と唸る。

「お前ェ…」

 恨めしげに呟いて、再び大地之助に襲いかかる。

「うわぁっ!!」

「おら、これでどーだっ!!」

 今度は反撃できないように、背後に回って大地之助の両方の袖にそれぞれ自分の腕を突っ込んでやった。

 直接腋の下をくすぐってやろうとの魂胆であった。


 すぐに大地之助のすべすべした柔らかい肌が見つかった。

「…ああっ!じ、じかになんて…ずるいよっ」

 必死で身体をひねるが、鑑導は無遠慮に腋や胴をまさぐり出す。その拍子にせっかく綺麗に着なおした着物が乱れ始めた。

「生意気なガキにお仕置きだっ!」

 鑑導は少々嗜虐的な喜びに目覚めつつ、大地之助のやわ肌の感触の気持ちよさにドキドキしてしまった。


「あはは、鑑さん、やめて、やっ!」

 そんなことともつゆ知らず、困りながらも大地之助は無邪気に笑っている。

(そういや、初日もこいつの脚撫でくりまわしたなぁ…こいつさっきからなんか妙に色っぽい声出すし、興奮してきたかも…)

 鑑導はぼんやりそう思いつつ、自分を戒めた。

(あーダメだダメだ!!そんなこと考えたら、また勃起しちまうっ)

 心の中で煩悩を振り払っていると、大地之助は涙を流して大笑いしていた。

「ちょ、ホントにダメっ…あはっ…いやだってばー!」

(こいつとこんな風に遊べるのも、今日が最後かぁ…)

 気もそぞろにこちょこちょしていると、大地之助がどうにか逃れようと大きく身をよじった。


 その瞬間。


「はぁんっ!」

 突然大地之助が身体をビクリと大きく震わせて、一段と艶っぽい声を上げた。


 鑑導が驚いて大地之助の顔を見ると、目をぎゅっと瞑って頬を紅潮させている。

 何ごとかと思ったが両手の指先にそれぞれ何かが触れるので、大地之助の異変を気にしつつ、なんとなくそれを確認のためつまんでくりくりしてみる。

 すると、またしても大地之助がびくびくと身体を小さく痙攣させた。

「ぁっ…はぁっ、くぅっ…」

 今度は瞳を半開きにして、悩ましげな表情で少しのけぞった。頬はさらに赤味が増している。


 この指先に触れるものは。

 この感触とこの反応は。

 もしかして。


 大地之助の乳首を、いたずらしてしまったんじゃ…。


 (ヤッベ!!)

 そう思った時すでに遅しで、自分の胸元にもたれかかっている大地之助は、口唇をかみしめてこちらを睨んでいる。

「ち、違うんだ、今のはわざとじゃないんだっ」

 鑑導は大地之助の袖からすぐ腕を出した。そして大慌てで釈明する。

 正直欲情し始めていたのでその無意識の願望が表れたか、とも思ったが、さっきまでの流れで大地之助に手を出せるほど、自分は落ちぶれたつもりはない。

 大地之助の瞳にはみるみるうちに涙がたまっていく。


「不可抗力で…くりくりいじっちまったのも、最初ふにっと柔らかくて、何触ってるか分かんなかったから…でもだんだん固くなってきて、そこで初めて

乳首って分かったぐらいで…」

 またキレられてはいけないと必死に説明するも、どんどん墓穴を掘っている鑑導。

 あわわ、と口を押さえる鑑導を見て、大地之助はとうとう俯いてしまった。


「悪い、ホント…すまねぇ!!」

 なんだかさっきからずっと謝ってばっかだなぁ、と思いつつ、大地之助の顔を覗き見ようとするが、ひざを抱え込んでしまって叶わなかった。

「だけど、わざとじゃないのはホントだぞ、信じてくれっ」

 せっかく笑顔が戻ったと思ったのに、泣き始めてしまった。

 もう明日からは会えないのに。今日が最後なのに。

 あーオレ何やってんだろ…と自分の情けなさにため息をついていると、大地之助が突然ガバッと顔を上げた。


「へっへー泣いてませ〜ん!冗談だよっ!!」

「っ!!」

 大地之助は顔の横で両手をひらひらさせて、からかうようにおどけている。

「だまされた?」

 ひひひ、といたずらが成功した喜びで笑顔を浮かべる子どもに、鑑導はまたもややられたとくやしがった。

「『冗談』なんて、オレの真似しやがって…よーし、今度は足の裏じゃっ!!」

 そう一声叫んで大地之助を押し倒し、足首を掴んでくすぐった。

「あぁん、ごめんなさいぃっ!!」

 大地之助はキャハキャハと嬌声を上げて楽しそうにはしゃいだ。