殿の誕生日 28
 想いを振り払うようにして、鑑導は語気を強めて言い放った。

「考えてもみろ、もうわらじは完成したし、お前がここへ来る理由がねぇじゃねーか。だからダメだ、お断りです、立ち入り禁止!!」

 大地之助は口をへの字に曲げて、潤んだ瞳で鑑導を見上げている。思わず心が揺らいだが、そのまま続けた。

「ん、そう言われてみたらやっぱり迷惑だったな。好きな時間に酒は呑めねぇし、寝られねぇしよ。何にもできないガキの世話するのって面倒だし。

強面で鳴らしてるこの鑑導様が、こーんな小僧と仲良く遊んでます、なんて変な噂が広がってみろ。余計なやくざモンが近寄って来なくなるってせいせいしてた

のに、ナメられちまってまた変なヤツが集まってくっぞ」


 長々と語る鑑導の前で、大地之助は俯いてしまった。

 二人の会話を聞いていた五代が、黙っていられず思わず口を挟んだ。

「おい、何て言い草だ。大地之助殿はお主を慕っているからこそ、ここへ来たいといじらしく言っておるのだ。それを…」

 ずい、と鑑導の方へ歩み出る若い侍の肩を、万次郎がそっと制した。

「何をするっ。お主だってくやしかろう、我々の大地之助殿をこんな風に言われて!」

 万次郎はゆっくりとかぶりを振った。

「違うんだよ、五代殿。違うんだ」

「何が違うっ!」

 いきり立つ五代に、万次郎は小さな声で囁いた。

「あれは鑑さんの本心ではない」

「え?」

「つきあいの長い私には分かる」

 五代に向かって、口の端をきゅっと上げて万次郎は笑った。

 わけが分からず、五代は眉間にしわを寄せてじっと見返すだけだった。


 鑑導は目の前でうなだれる少年を黙って見下ろしていた。

 目の中に入れても痛くない、と言われているほど殿の寵愛を受けている大地之助。

 子どもゆえに、無邪気に自分を慕う大地之助。


 愛する小姓が、どこの馬の骨とも分からない悪評ばかりの男の元へ通う。

 その事実に対して殿の心証はいかばかりか。

 今の時点で家臣にずっと偵察させていたぐらいなのだ。決して穏やかではないはずだった。


 殿の気持ちを思うと、ここは突き放すしかない。そうでもしないと大地之助はこの先ずっとこの寺へやって来る。

 また、別の理由でも鑑導はこのまま大地之助との付き合いを続けて行くのが辛かった。

 大地之助に芽生えた、自分の想い。決して口に出せない強い想い。

 それを抱いたまま会うのは、正直苦しかった。


 大地之助にはキツいことを言ってしまったと自分でも思う。

 慰めるために先ほどまでくすぐっていた小さな身体。それがより小さく見える。

 もしかして泣いているのではないかと思ったが、鑑導は自分に言い聞かせるように言った。


「おら、分かったらさっさと殿サンのとこへ帰れ。もう二度とここへは来るな」

 すると、大地之助は俯いたまま何やら小さく一人ごちた。

「…ゅう…」

「あ?」

 聞き取りにくいので鑑導が確かめようとすると、大地之助が勢いよく顔を上げた。

「理由ならあるよ!ここへ来る理由!!」

「…へ?」


 泣いているのかと思っていた大地之助。その目には涙は一切浮かんでいない。それどころか、いかにもいいことをひらめいた!という感じで、生き生きとした

希望に満ちあふれている。

 わけが分からず鑑導が黙っていると、大地之助はわくわくした様子で続けた。


「僕、鑑さんに習字習う!」

 思いがけない言葉に、鑑導だけではなく万次郎と五代も驚いていた。

「大地之助殿、それはどういう…」

 五代が説明を求めると、大地之助はくるっとそちらを振り返って言った。

「鑑さんはわらじづくりだけじゃなくて、文字もものすごく上手なんだ。だから習字習いにここへ通う!」

 鑑導はたまらず大地之助の肩を引っ張って、自分の方へ向きなおらせた。

「お前、オレの話聞いてなかったのか?わらじだろうが習字だろうが、オレはお前がここへ来ること自体が迷惑だって…」

「だって、それ嘘だもん」


「……!!」

 大地之助の突然の切り返しに、鑑導は思わず言葉を詰まらせた。


「鑑さん、嘘の気持ち言う時っていつも耳が赤くなるんだ。今もさっきも、迷惑だって言った時真っ赤だった。でも本心を言う時はならないんだよ」

「……っ。そんなデタラメ言うなっ」

 自分で気づいていない現象を指摘されて、鑑導は慌てた。


「本当だよ?ここ通ってるうちに気づいたんだ。最初に『迷惑じゃない、オレだって寂しい』って言った時は赤くなってなかったよ」

「お前…」

 鑑導は口ごもった。大地之助の指摘にまったく自覚はないものの、本心はその通りだったからだ。

 それを子どもゆえの純真さからか、鋭い洞察力で言い当てられ、言葉がなかった。


「…こういうことさ」

 万次郎に意味ありげに微笑みかけられ、五代は呆けたような表情で大地之助たちを見ていた。


「鑑さんも知らなかったでしょ、耳のこと!!」

 ひひっ、とイタズラっ子のように笑う大地之助に、鑑導は観念した様子で尋ねた。

「…いつから気づいてた」

「ん〜…割りとはじめの方からだよ。鑑さんって呼ぶって話になった時かなぁ。キツいこと言ってる時に、耳見たら赤いなぁって思い始めて。…そういや一番

最初の日に押し倒された時も…」


「っ!!押し倒された!!??」

 大地之助の話を黙って聞いていた五代が、素っ頓狂な声を上げた。

 隣の万次郎も、初日に親友の鑑導がそんなことをしていたと初めて知って、目を丸くして前のめりになった。

 五代は詳しく話を聞こうと、鑑導に詰め寄る。

「だっ…大地之助殿にそんなに早くからいかがわしいことをしようと…!?どういうことだ貴様っ!!」

 ぎゃあぎゃあと隣でわめく家臣を気にする様子もなく、大地之助は考え込んだ様子でぶつぶつ一人ごちている。

「や、あれ…?あの時は耳は赤くなかったような…」

(あん時ゃ、怖くなって逃げ出しゃいいって気持ち二割、ヤッちまいたいって気持ち八割だったもんなぁ)

 バツが悪く頬をぽりぽり掻きながら、鑑導はあの日に想いを馳せている。


「お酒呑んでたし、赤くなってもよさそうなのに…普通の色だった気が…」

 腑に落ちないといった様子で大地之助はまだ独り言を言っている。鑑導は結論がはっきり出てしまわないうちに、話を早く終わらせようとした。

「お前、ビビってたから覚えてないだけだよ。赤かった、絶対赤かった!!」

「…そうかなぁ…」

「ああ、そうだって!」

 納得させようと力強く言い切る鑑導を見て、大地之助はじとーっとした視線で言った。

「今の鑑さん、耳真っ赤だけど」

「!!!」

 ビクリと肩を震わせてすぐさま耳を隠す鑑導に、少年は頬をふくらませる。

「やっぱりあの時冗談じゃなくて本当に…!」

「もう忘れろよ」

「わ、認めた!?」


 なんだかんだで仲良さそうだなぁ、と思っている万次郎に対して、五代は怒り心頭だった。

「きっ…貴様…私の…いやっ、殿や万次郎殿や、我々城の者みんなの大事な大事な大地之助殿になんてことを…!さっきも覆いかぶさって、隙あらばと思って

いたのではないか!?」

(そう言われたら否定できないよな〜…)

 ヤベぇよなぁ、何か答えたら即行耳の色でバレちまうんだろうな〜…と思い、話の方向を変えようと、鑑導は五代を無視して大地之助に話しかけた。


「それよりも大地之助、習字習うってそんな理由通るのかよ」

「あっ、それはね」

 押し倒してきた鑑導の心理を問いただすことは忘れたようだ。

(こいつ、鋭いとこあるくせに、こういうところはやっぱり子どもっつーか…)

 鑑導は苦笑しつつホッとした。


「僕、いつも殿や中条さんたちに『小姓には字の上手さは必須条件だ。大地之助はもっと字の練習をしないといけない』って言われてるんだ。だから

了承してもらえると思う」

「んなこと言ったって、そんな簡単に殿サンを納得させられないだろう」

「大丈夫」

 大地之助はにんまり笑った。

「僕がお願いして殿がダメって言ったことないんだもん」

「……」

「もしも強くダメって言われたら『お城から出て行きます』って言えばいいんだよ」

「!!!」

 大地之助のその言葉に、鑑導も万次郎も五代も、あんぐりと口を開いた。


「それぐらい、僕はここに来たいってこと!」

 鑑導を見上げる大地之助の目は、すがるような、また意思を変えるつもりはないといった、頑固で揺るぎないものだった。

 この小さなお小姓は、本気だ。

「…お前って…最初も思ったけど…見かけによらず強情だよなぁ」

「…そうかな?」


 みんながかしずくお殿さまに、こんな風に強気で出られる人間なんて、きっと大地之助しかいないだろう。いや、絶対にいるはずがない。

 しかも殿はこの子どものわがままを、結局は聞いてしまうのだろう。

 いやはや、惚れた弱みだ。

 よくよく考えると、自分も同じ。

「…ふっ…」

 鑑導は可笑しくなって笑った。それを見て大地之助は、ここへ来ることを鑑導が許してくれたと分かって、嬉しそうに微笑んだ。


 笑い合っている二人を見て、五代はあからさまにおもしろくなさそうな顔をしている。そして大地之助に声をかけた。

「さあ、もうそろそろ城へ戻るとしよう」

 隣で万次郎は肩をすくめて苦笑しながら言った。

「そうだな。殿も心配しておられることだし…鑑さん、またな」

 鑑導は小さくうなずいた。