殿の誕生日 29
「あっ、そうだ」

 別れる間際、大地之助は思い出した様子で奥の机に駆けていく。そこから一枚の紙を手にして、鑑導に手渡した。

「はい、鑑さんにお手紙!」

「…手紙?」

 受け取った鑑導がそれを開こうとすると、大地之助は慌てて止めた。

「あーダメダメっ、恥ずかしいから後で読んでっ」

「お前いつのまに手紙なんて…」

「さっき鑑さんが三浦堂に行ってた時だよ」


「……」

 殿への手紙を書いた後、自分へわざわざ…。

 そう思うと鑑導は胸が詰まって、不覚にも泣きそうになってしまった。


「大地之助殿、早く戻りましょう」

 夕闇が広がりつつある外を見ながら五代が急かす。大地之助は元気良く鑑導に言った。

「また来るね!」

「おう」

 鑑導は大地之助の頭を撫でた。知らず知らず、離れたくないという想いがその行為に表れていた。


 大地之助に触れる鑑導に、五代はまたしても不愉快そうな顔をして口を開いた。

「さ、帰ろう」

「うん。じゃあね」

 大地之助は笑って、万次郎と五代と共に城への帰途についた。見えなくなるまでずっとずっと、鑑導に手を振り続けていた。

 鑑導は大地之助の姿が見えなくなっても、しばらくじっとそちらの方を見つめていた。


 その後、奥の部屋で一人、大地之助からもらった手紙を開いた。

『がんさんへ』

 まだ『鑑』という漢字が書けないのだろう、ひらがなでしたためられた自分の名前に、鑑導はくすりと笑った。


『がんさん、わらじづくりを教えてくれてありがとう。

 殿も絶対喜んでくれると思います。

 本当に感しゃしてるよ。


 最初はちょっとこわかったけど、がんさんがすごくやさしい人だってすぐにわかった。

 おもしろいし、楽しかった。いっぱいわらったね。

 きちょうな時間をありがとう。

 これからも遊びにきます。

 よろしくね』


 今までの出来事を思い出して、手紙を読む鑑導の顔は自然にほころんでいた。

(あいつ…ここへ遊びに来るって、ずっと思ってたんだな)

 くすくす笑いながら、続きに視線を走らせてハッとなった。



『最後に。


 がんさん、大好きだよ。


 大地之助』



「……」

 鑑導は胸が熱くなった。

 大地之助のその気持ちは、友情に他ならない。それを分かってはいるが、好意を抱いてくれていることが純粋に嬉しかった。

 と同時に、友情以上の気持ちを抱いている自分にとっては、嬉しいのと同じくらい切なく、苦しかった。


『大好きだよ。』。

 その文字にそっと指を這わす。

 優しくなぞりながら、小さく呟いた。


「大地之助…オレも…大地之助が、大好きだよ」


 もう二度と口に出さない気持ち。

 だが何よりも自分の心を大きく占める、嘘偽りのない気持ち。


 鑑導の想いは、決して大地之助には届かない。

 やるせなさと、それでもいいんだという複雑な心情で、手紙を大事そうに抱きしめた。




 大地之助たちが城へ帰ると、殿のお祝いに来た大名たちの応対や献上品の整理などで、まだてんやわんやしていた。


 大地之助は万次郎と別れ、五代と共に殿の元へ出向く。

 しばらく消えていた大地之助が突然現れても、殿は何も言わず迎え入れて、その後訪れた客に紹介したりした。

 そして何組かの客に同様に会い、共に談笑して過ごした。


 最後の客と豪勢な夕餉を済ませ、その者が帰ってやっと、城は落ち着きを取り戻した。


「ふぅ、今日は疲れたなぁ」

 殿は部屋で大地之助と二人きりになって、ため息をついた。そう言いつつも、誕生日をみなが祝ってくれたことが嬉しかったようで、その顔は微笑んでいた。


 大地之助は綺麗に包装してあるわらじを傍らに置いている。

 早く渡したかったが、少し複雑な心境だった。


 驚かせたくて内緒にしておきたかったのに、しっかりバレていた上に、教えてもらうために会っていた鑑導と自分が『ウワキ』なんてことをしていると

疑われていたのだ。

 それを知ってしまって、殿だけを愛しているのに信用されていないと感じ、心外だったし少し腹立たしかった。

 殿は大地之助の隣の包みに、ちらちらと視線を寄こしている。

 早く渡してほしくてソワソワしてるんだな…と気づいて、大地之助は気を取り直し、それを手にとって差し出した。


「殿、お誕生日おめでとう」


 釈然としないものの、やはり殿に喜んでほしくて、照れくさそうに顔を赤らめている。その様子は実に愛らしかった。

 大地之助の複雑な胸中などいざ知らず、殿はびっくりしたような表情を浮かべる。

「大地之助から私に贈り物とは…!開けていいかい?」

 大地之助はうなずいた。


 包んである風呂敷を広げて、中から出て来たわらじに殿は破顔した。

「やや、これは驚いた!もしかして大地之助が作ってくれたのか?」


 大喜びしてはいるが、全部知っていたのだ。さすがにしらじらしさを覚えた大地之助は、口唇を尖らせた。

「…知ってたくせに」

「え?」

「この日のために、僕が鑑さんにわらじづくりを教えてもらってたこと、前から知ってたくせに」


 きっと五代から何かのはずみで諸々の話を聞いたのだろう。頬をふくらませて殿から視線を外し、ぷい、と拗ねたように顔をそむけている。

「…こっちへおいで」

 殿はそんな大地之助の手を取って、自分の上に座らせた。

 大地之助はひざの上でもこちらを見ようとせず、ムーっとした難しい顔をしている。


「…お前の言う通り、全部知ってたよ」

 殿は優しく大地之助の髪を撫でた。

「お前を疑うようなことをして、悪かったな」

「そうだよ、僕は殿一筋なんだか…」

 大地之助が振り返って抗議したとたん、口唇をふさがれた。


「……!」

 そっと離れて、殿は笑った。

「ああ、そうだな。それがよく分かって、嬉しかった。何より聞きたかった言葉だよ」

 悪びれず殿は微笑む。

 ずるい。そんな顔で笑われると、大地之助は何も言えなくなってしまう。


「分かってはいたが…お前のことになると、私はとたんに臆病で嫉妬深くなり、我を忘れる。まるで子どものように、聞き分けがなくなってしまうんだ」

「……」

 それは大地之助だって同じだ。

 大好きな大好きな殿だもの。

 大地之助は頬を赤く染めた。


「だから、鑑導という男に対しても、私の大地之助と二人きりで同じ時を過ごしていたかと思うと、今でも歯がゆさを伴うほどの激しい嫉妬を覚える」


 大地之助は殿の顔をじっと見つめた。

 バレないと気をつけてはいたものの、これだけ自分を想ってくれている大切な人にいらぬ心労をかけてしまったと、その時はっきりと自覚した。

 んん?と言い聞かすように微笑しながら上から優しく見下ろす殿に、大地之助は謝った。

「殿…心配かけてごめんなさい」

 しゅん、とたちまち落ち込む大地之助を、殿はアハハと明るく笑い飛ばした。

「おいおい、今日は何の日だ?」

「殿の誕生日…」

「そう、だったらそんな顔をするな」

 わしゃわしゃと髪をかき混ぜられて、大地之助も笑顔を浮かべた。


「どれどれ、お前が一生懸命作ってくれたわらじを試してみよう」

 室内だが殿はさっそく履いてみた。

「おお、私の脚にぴったりだ!これならわらじずれも起こらないぞ」

 感動して部屋を行き来し、子どものようにはしゃいでいる。

「しかも歩きやすいなぁ、さすが大地之助だっ!」

 大地之助はそんな殿を見て、わらじを作って本当によかったと思った。