殿の誕生日 3
 次の日。

 大地之助は昼食後、城の片隅にある小さな池の前にいた。

 そこは使用人専用の建屋の中庭で、この時間はほとんど人がいないので、一人になりたい時に時々利用していた。


 池の淵にある小石を、先ほどから何度も難しい顔でコロコロと無意識に転がしている。

(――…もう、殿ったら結局何が欲しいかはっきり言わなかった…)

 大地之助は不満だった。

 何としてでも何が欲しいか聞き出したかったから、バレてもよいと真正面から臨んだのに、うやむやにされた。

 しかもあんな方法で。

 ああいうことをすれば殿は自分が何も言えなくなると思っている。

 それも癪だったし、実際強引ながらもまんまとその通り押し切られた情けなさも手伝って、手元の小石をくやしまぎれに池に放り投げた。


 大地之助はこの未の刻(昼一時から三時)の間、毎日昼寝をするよう決められていた。

 お小姓の仕事は、朝から晩まで多忙である上、殿の夜伽という大切な役目を仰せつかっている。

 昼寝は、まだまだ子どもの大地之助が、日中一睡もせずにそのお勤めを果たすのは辛かろうと、殿が配慮して提案した休息時間だった。

 家臣たちの噂では、何より契りを楽しみにしている殿が、大地之助がヘトヘトで相手にしてもらえなくなるのがイヤで提案したのだろう、と囁かれていた。

 …実際、噂どおりなのであったが。


 だが大地之助は、昨夜のことを考えるとモヤモヤして落ち着かず、昼寝をせずにこうして庭へ出てきたのである。

(殿の誕生日まであと十日…。あーあ、どうしようかなぁ。ホントにすっぽん買って…いやいや、そうすると思うツボのような気がしてくやしい!

 殿がびっくりして、なおかつ喜んでもらえる、できることならこの世にたった一つしかないもの…何か…!)


 池に生じた波紋の第一陣が池の端に辿り着いた時、後ろから男の声がした。

「ん?大地之助殿ではないか」

「あ、万次郎さん」

 振り返ると、城の警備の仕事をしている社万次郎がいた。

「こんなところでどうした?この時間は昼寝だと聞いているが」

 万次郎は笑いながら大地之助の隣に腰掛ける。


 この男は、大地之助が城を飛び出した時色々と世話になってから、顔を合わせると時々話をする間柄になっていた。

 あの時万次郎は、大地之助の置かれた状況を不憫に思い、そしてその儚さに自分がこの子を支えていこうと、立場を忘れて熱烈に思いを告げた。

 その気持ちはいまだ万次郎の心の中にあったが、相手は殿の寵愛を一身に受けるお小姓だ。

 なのでもう一切、口に出すことはなかった。

 また、大地之助は心身共に傷つき意識が朦朧としていたため、当時のことははっきり覚えていなかった。

 ただ、万次郎の優しさは充分感じとっていたため、あの日以来仲良くしていた。


「万次郎さんこそ何してるのさ」

「私はちょうど番が終わって、休憩に入ったところだ。おやおや、今日は少々機嫌が悪いみたいだな」

 万次郎は地面にあぐらをかいたまま、くすくす笑っている。

「別に…そんなんじゃないよっ」

 ぷくーっと頬をふくらませて、手元の小石で砂利をかき乱す大地之助。

 どうやら、図星をさされてますます不機嫌になっているようだ。万次郎は年相応の子どもっぽさを見せる少年に苦笑した。


 そんな万次郎をちらっと一瞥し、やや非難するように大地之助が聞いた。

「何が可笑しいの、万次郎さん」

「いやいや別に…」

「笑ってるじゃないかっ」

 実は、大地之助がこの城でこんな風に話せる人間は数少なかった。

 年齢が比較的近く、また心底辛い時優しくしてくれた万次郎だからこそ、心を許して接しているのだった。


「すまぬすまぬ」

 口では謝りながらもまだ笑っている万次郎に少々呆れつつ、再度池に視線を移した。

「はー…」

 大地之助は知らず知らず大きなため息をついた。

 いつもと様子の違う少年に、万次郎は笑うのをやめて心配するように顔を見る。


「どうした大地之助殿、何か悩みごとでも…」

「うん…あっ!」

 大地之助はその時初めて、例のことを万次郎にまだ聞いていないと気がついた。

「ねぇ万次郎さん、殿の誕生日の贈り物、何がいいと思う?」

「え…」


 唐突な質問に、万次郎は面食らった。

 万次郎への信頼感から、今自分を悩ませている諸々のことを全て話した。

 城の者へ聞き込み調査をしても誰も真面目に答えてくれないこと、仕方ない、ならば最終手段だと殿に直接尋ねたら、誤魔化されてしまったことなどすべてだ。


「う〜〜〜〜…ん…」

 一通り話を聞いた万次郎は唸った。

 一介の警備兵である自分が普段殿と直接お話することはないし、近しい者とも関わりがない。

 そのため、実のところ何が欲しいかなど見当がつかなかった。

 正直殿をはじめ、城の者たちが言っているように大地之助が傍にいるだけで、殿はご満足なのだ。皆一様に真面目に考えて出た答えがそれだ。

 でもそれを言うと目の前の子どもはさらにへそを曲げてしまうと思ったため、何も答えられず万次郎は困り果てた。


「…分かんない?」

 大地之助は、名案を出してくれるかもしれない期待と、逆に何も言ってくれないかもしれない不安が入り混じった顔で覗き込んでくる。

 万次郎はその表情の可愛らしさにドキドキした。

 だがこの期待に応えたいと思えば思うほど、悩みを解決できない自分の無力さに胸が苦しくなった。


「…そうか、万次郎さん、ありがとう」

 無理なことを言って万次郎を困らせていると気づいた大地之助は、一言礼を言って正面を向いた。

 だがすぐに少し俯き、手元の草をくるくると指に巻きつけて弄び始めた。

 万次郎は大地之助をがっかりさせてしまったと落ち込んだ。

 何か声をかけたかったがうまい言葉が見つからない。困った挙句、万次郎も正面を向いて池を眺め始めた。


 静かな時が流れる中、大地之助はふと視線を万次郎の脚元に移した。

 自分のために頭を悩ませてくれた万次郎が落ち込んでいる風だったので、大地之助は会話の流れを変えようとした。

「…万次郎さんのわらじ、ずいぶん薄くなってるね」

「…あ、ああ。だから今から鑑さんのところへ行こうと思ってたんだ」


「がんさん?」

 聞きなれない名前だった。城の中でそういうあだ名の人間がいるのだろうか。

「ああ、鑑さんというのはね、本名が『鑑導(がんどう)』という、私の幼なじみで寺の住職をしている男なんだ。実は手づくりわらじの名人で、

 以前頼んでいたのがもうそろそろ仕上がった頃だから、受け取りに行くんだ」


「…わらじ…」

 大地之助は小さく一人ごちて、水面に映る陽光を見つめた。

「ああ、鑑さんの作るわらじは絶品なんだ。脚にぴったりで、履きこむ程になじんでくる。おまけに頑丈でめったなことじゃ壊れない。私はあいつが

作る以外のわらじは、もう履けなくなってしまったぐらいだよ」

 先ほど役に立てなかった引け目から、鑑導のことは任せてくれと言わんばかりに元気に答える万次郎。

 褒めちぎられる鑑導作のわらじの話を聞きながら、大地之助の頭に一つの案が浮かんだ。


「それだ…」

 万次郎は大地之助が一点を見つめたまま真剣な表情で呟くのを見て、きょとんとした。

「それだよ、殿への贈り物!手づくりわらじだよ!!」

 突然の話の飛躍に、何のことか事情が飲み込めない万次郎。大地之助は構わずに、満面の笑みで迫った。

「僕、その鑑導さんって人に、殿のわらじづくりを一から教えてもらう!それならこの世にたった一つしかない、思いのこもった素敵な贈り物ができるよ!」

「え…ちょ、ちょっと…」

「ふふ、いつもは高級な草履を履いてるけど、長旅の時はわらじも使うから…きっとすごく喜んでくれると思う!」

 今までさんざん考えても出てこなかった名案が浮かんだことで、大地之助は気分が高揚して頬が赤らんでいた。