殿の誕生日 4
「ね、万次郎さん、今から鑑導さんの所に行くんでしょ?僕もいっしょに行く。行って、わらじ作りを教えてもらいたいって直接お願いしてみる!」
いても立っていられず立ち上がる大地之助に、万次郎は慌てて言った。
「あ…あの、大地之助殿、昼寝の時間は…」
「そんなのいいよ。ねー、早く行こう!」
時間が惜しい大地之助は、気が急いているためかその場で地団駄を踏んだ。
「ちょっ…ちょっと待ってくれ…」
「?」
「あの…すごく言いにくいんだが…鑑さんにはちょっとその、問題があって…」
「問題?」
万次郎は小さくうなずき、眉根を寄せたまま困ったように続けた。
「寺の住職といえども、借金までして酒を飲む生粋の呑ん兵衛で、おまけにずいぶん気難しい性質だから、寺の坊主はもちろん檀家もみんな離れてしまって…
今は一人で、ボロい鑑永寺で気ままに暮らしている。私と借金とり以外はほとんど寄りつかない生活を送っているんだ」
大地之助は黙って万次郎の話を聞いている。
「人嫌いも手伝って、だらだら一人で酒を呑むか、私が頼んだわらじを作るかして毎日自由気ままに過ごしているあいつが、大地之助殿の頼みをすんなり
聞く姿が想像できない…」
万次郎は青くなる。
「自分の友人をこんな風に言うのは何だが、簡単に了承しないだろうという鑑さんの性分を知っているだけに、わらじづくり以外であまりおすすめできる
人材では…」
「でも、いい人なんでしょう?」
鑑導と会ったこともないのにそう言ってしまう大地之助に、万次郎は驚いて聞き返した。
「え?」
「だって、万次郎さんの友達なら、きっといい人だよ。万次郎さんを見れば分かるもの」
「……」
万次郎は照れと感動で赤くなりながら、鑑導のことを改めて考えた。
確かに今大地之助に伝えたままの男なのだが、決して悪いヤツではない。それは万次郎が一番よく知っている。
「万次郎さん、もし鑑導さんに断られたらその時は大人しくあきらめる。でももしかしたら…だから、お願いするだけしてみたいんだ」
大地之助が打ち明けた悩み。
それを考えると、わらをもすがる思いだろう。
「本当に、殿へのいい贈り物だと思うんだ。だからお願い、万次郎さん…一緒に連れてって…!」
万次郎の袖を持って、懸命に頼み込む大地之助。
その目は自分を頼ってすがりつくようなものであった。万次郎は嬉しくて目の前がクラクラした。
ひそかに慕い続けている大地之助が、こんなに自分をよすがとしている。
(ここで無下にするなど、男じゃないっ!!)
万次郎は勢いに乗って答えた。
「ああ、分かった!!」
「…本当!?うわぁ、万次郎さんありがとう!!」
自分に満開の笑顔を向ける大地之助を見て、万次郎はさらに顔を赤くしてはにかんでいたが、鑑導にどう頼もうか内心不安だった。
「じゃあ、さっそく行こー!」
「あっ…大地之助殿、ちょっと待っ…」
「えー、まだ何かあるの?」
先を急ぎたい大地之助は、またも引きとめられてガクッとずっこけた。
「もし鑑さんがわらじづくりを教えてもいいと言ったら、もちろん殿には報告するんだろう?」
「え?言わないよ?殿には内緒でお作りするんだ」
「…っそれは…」
大いに、大いにヤバいのではないか。
わらじはよほどの名人でなければ、数日で作れるものではない。万次郎は焦った。
「む、無理だよ大地之助殿。教えてもらうとなると最低一週間はかかる。それに今から頼んでも誕生日までは今日を含めて十日間だ。そんな長い期間、
殿に内緒で鑑永寺に通うことなど…」
「大丈夫だよ。今みたいなお昼寝の時間にこっそり抜け出せばいいって」
「こっそりってどうやって…城の警備は厳重なのだぞ?私が協力するにしても限界が…」
「うん…でも僕、ひそかに抜け道があるの知ってるんだ」
「抜け道!?」
警備の仕事に携わっている万次郎は、たった今『厳重』と言ったばかりの城にそんな場所があるのかと心底驚いた。
「お城に長年住んでいる人でも知らない、子どもがやっと一人通れるぐらいの小さい抜け道だよ。普段は僕が枝とか葉っぱとか突っ込んでるから誰も
知らないんだ。これからはそこ通ればいいよ」
万次郎はのん気に笑う大地之助を見て、どんどん怖ろしい方向に話が進むので目眩がした。
「誕生日の当日まで秘密にしておいて、殿を驚かせたいんだー♪万次郎さん、そんなに時間がかかるなら早く行こうよっ」
「……」
万次郎は一度引き受けたことを今さら撤回できず、意気揚々と門へ歩いていく大地之助の後ろを青ざめた顔でついて行った。
鑑導が大変酒好きということもあって、鑑永寺へ行く前に美味しいお酒を手土産にしようという話になった。
そうすれば少しでも鑑導の機嫌が良くなり、こちらの望みを受け入れてもらいやすくなるだろう、という万次郎の提案だった。
大地之助が今日城を出る口実は、親戚のおじさん夫婦の所へ行くというものだった。
万次郎をその護衛ということにしておけば、殿に怪しまれることもないし、城の者もにこやかに送り出してくれた。
そうやって二人は堂々と城を抜け出し、まずおじさんの家へ向かった。
「おう、大地之助!」
おじさんは相変わらず人の良さそうな笑顔で出迎えてくれる。
「みんな元気だった?」
「ああ、元気元気!!…ったって、ついこないだ来てくれたばかりだろう。大差ないって」
「へへっ」
大地之助は、多忙な仕事の合間を縫って、おじさんによく会いに来ていた。
亡くなった父親の兄であるおじさん一家とは、城に住んでいる今もずっと繋がっていたかった。
殿もそんな大地之助の気持ちを尊重して、会う機会を極力作ってやっていた。
「大地之助の送ってくれるお金や食べ物のおかげで、子どもたちも栄養のあるものをしっかり食べることができてるよ」
大家族で生活が困窮していたおじさんたちは、大地之助や殿にとても感謝していた。
「みんなうるさいくらい元気だよ」
そう笑っているおじさんの後ろで、これも相変わらずなのだが奥さんが子どもを叱りつけていた。
「…一番うるせぇのはアイツだけどよ」
こそっと大地之助に耳打ちするおじさんに気づいて奥さんがこちらへ来た。
「なんだってっ!?」
咎められて、おじさんは肩をすくめた。奥さんはおじさんを軽く睨んだまま、大地之助と万次郎ににこやかに挨拶した。
「いらっしゃい」
大地之助は苦笑気味に笑い返す。万次郎も軽く会釈をした。
「元気そうだね。大地之助、いつもありがとうね。あんたにはどれだけ感謝してもしきれないぐらいだよ」
奥さんの言葉に、大地之助は首を振った。
「うぅん。僕、お父さんたちがああなって…おじさんやおばさん、ここの子どもたちみんなが僕の家族だと思ってる。だから、当たり前のことしてるだけさ」
おじさんと奥さんは大地之助を見て瞳を潤ませた。
「大樹衛門と美恵さんは…お前をなんていい子に育てたんだろうな…」
「ええ、本当に。大地之助がそんな子だから、お殿様に心から大切にされているんだね…」
二人がしみじみそう言うので、大地之助は頬を赤らめた。照れくさいのか肩をすくめてはにかんでいる。
万次郎は、この夫婦の言う通りだと思った。
「今日はどうしたんだ?昼ごはん食べてくか?」
「うぅん。今日はね、教えてほしいことがあって」
「何々?オレたちにできることなら、なんでも言ってくれよ」
「うん」
大地之助は一度万次郎に視線を移し、うなずき合っておじさんに尋ねた。
「この辺りで一番美味しいお酒を造ってる酒屋さんを教えてほしいんだ」
おじさんが言うには、『伝龍』という酒屋の酒職人・伝五郎が造る地酒がかなり美味しいぞ、とのことだった。
それは『雅盛』という名の酒で、生前父親の大樹衛門も大好きだったと教えてくれた。
ただ高価なのでたまにしか買えず、よっぽどのことがなければ手が出なかった、そんな中お前と大空衛門が生まれた時は、祝杯だ!と惜しげもなく銭を出して、
自分は誘われて一緒に明け方まで呑んだなぁ…とおじさんは懐かしそうに語っていた。
大地之助と万次郎はさっそく伝龍へ行き、雅盛を手に入れて鑑永寺へ向かった。
それにしても、大地之助と城下町を歩くと、老若男女問わず行く人行く人が優しく声をかけてくる。
大地之助はその一人一人に笑顔で明るく答えていた。
万次郎はその様子を見て、お殿様のお小姓だからということではなく、大地之助自身の人柄からくる人気や親しみやすさなのだなぁ、と強く思った。
城の中でも外でも、大地之助はみんなから愛される性格なのだと。
万次郎はそんな大地之助と共に歩くことができて、誇らしかった。
