殿の誕生日 7
 その夜。

 大地之助はいつも通り、殿が仕事を終えて部屋に帰ってくるのを待っていた。

 江田と田崎も共におり、輪になって座布団に座っている。


(…うぅ…眠い…)

 初めて鑑永寺を訪れて、鑑導という気難しい男と出会い、押し倒されて…と色々大変だった大地之助は、昼寝していないことも手伝って猛烈な睡魔に

襲われていた。

(殿が帰ってくるまで、ちゃんと起きとかないと…)

 そう思うのだが、いかんせん眠くて眠くて仕方がない。


「…大地之助殿、大丈夫かい?」

 田崎はいつもと様子の違う大地之助が心配になり、声をかけた。

「んー…大丈夫…」

 手の甲で目をこすって、眠そうにそう返事をする大地之助。

 その仕草がたまらなく愛らしい。田崎も江田も、内心胸がキュンとしていた。


 大地之助は返事とはうらはらに、コクリ、コクリ…と頭を上下しながら舟を漕ぎ始めた。

 それにも『可愛いー!』と胸躍らせながら、江田が話しかけた。

「眠いのなら少し仮眠すればいい。殿がお帰りになったらすぐ起こすから」

 その声にハッとして目を開いた大地之助は、江田を見て首を振った。

「うぅん、起きてる」

 大好きな殿をちゃんとお迎えしたいという気持ちが窺い知れる答えで、江田たちは感動した。

 だが、ものの五秒も経たぬうちに、大地之助は目がトロンとして再び舟を漕いでいる。

 そして首をガクン!と大きく前に落としたかと思うと、ハッとして起き上がる。でもまたコクリ、コクリとしてガクン。

 その繰り返しだった。


「あらら…」

 このままでは畳に突っ伏して怪我してはいけないと、田崎は大地之助の近くに座布団を数枚用意した。

「ほら大地之助殿、ここに横になればよいぞ」

 やんわりと肩に手をかけて、座布団にゆっくりその身を横たえようとする。

「んん…」

 大地之助はどうやら拒否したいらしく、小さく呻いて少しだけ首を振ろうとしたが、その拍子に田崎の胸にもたれかかってしまった。

「…っ…」

 田崎が驚いて大地之助の顔を見ると、目を瞑ってスースーと寝息をたて始めている。

「だ、大地之助殿っ?」

 田崎が袖口を持って軽く揺すっても、今度は全く起きる気配がない。完全に自分に身を預けて、寝入ってしまったようだ。


「…田崎ィ…お前、うまいことやりやがったな…」

 江田が恨めしげに田崎を見る。

 自分があの小さな肩に手をかけていれば、今頃大地之助はこの腕の中だったのだ。それを田崎が…当然おもしろくなかった。


 思いっきり嫉妬心むき出しの瞳で睨まれて、田崎は慌てて弁明した。

「私は別にっ…大地之助殿をただ単にここへ寝かせようと思ってだなぁ、」

「顔がニヤついているぞ」

 指摘されて田崎は自分の頬に手をやった。

「…仕方ないだろう、お前もこの立場ならこうなるさ」

「…そうだろうなー…」


 二人で大地之助を見つめる。

 普段親しくはしていても大地之助の寝姿などそうそう拝めるものではない。

 あどけない子どもそのものの寝顔。

 それでいて長いまつげが美しい曲線を描いて、頬に影を落とす様子は独特の色香を放っており、その不均衡にドキリとする。

 田崎も江田も、自然に顔がヤニ下がってしまった。


「風邪引いちゃうといけないなー」

 そう言って江田は大地之助の肩に自分の羽織をかける。

 大地之助が自分のものを身につけている。そんな些細なことが無性に嬉しい江田は、くふふ…と満足そうに含み笑いした。

「お前だってなんだかんだうまいことやってるじゃないか」

 田崎はそう言って、かけてある羽織がずれないよう大地之助の肩に背後から手をかけた。


「…ぁ―――――――っ!」

 江田は大地之助が起きないよう小声で非難するように叫ぶと、田崎に詰め寄った。

「お前、調子に乗るなよ?」

「なんだよ、私はせっかくお前がかけたコレがずれ落ちたらダメだと思って…!」

 忠誠心が強く普段は真面目で有能なこの二人も、大地之助のこととなると見境がなくなってしまう。まったく、困った家臣たちである。


 そうしていると、その騒々しさに大地之助が小さく呻いた。

「んっ…?」

(ヤバい、起こしてしまった…!!)

 二人はハッとして言い争うのをやめた。

 押し黙っていると、大地之助は田崎の胸に軽く顔をこすりつけて、再び規則的な寝息をたて始めた。


「か…かわい…」

「うむ、まことに…」

 田崎と江田は心臓がバクバク高鳴るのを自覚しながら、大地之助に心奪われ、うっとりと頬を染めた。


 だがしかし、殿が帰ってくるに当たり、このままでは大きな問題に直面することになると気づいて、二人は頭を抱えた。

 殿のお小姓の大地之助には、いくら家臣と言えどもやむを得ない場合以外、指一本でも触れることはご法度だったからだ。

「…これ、殿に見られたら、めちゃくちゃ怒られるんだろうな…」

「そ、そうだな、どうすれば…」

 こんな状態の自分たちを目にすれば、殿は逆上するに違いない。

 かといって大地之助を無理矢理起こすのは可哀想だ。

 …というのは口実で、この状態をもっと楽しみたいというのが二人の本音であった。


 そうこうしていると、殿が仕事を終えて部屋に入ってきた。

 ぎくりと身を強張らせる江田と田崎。

「大地之助ー、戻ったぞ〜♪」

 部屋の襖が開くやいなや、愛しのお小姓に笑顔全開で声をかけた殿は、目の前の光景に唖然とした。

「お…お前ら…っ?」

 殿の後ろにいる中条と五代も、目を丸くして驚いている。

 江田と田崎は案の定な殿の反応に、顔面蒼白になった。

「殿、これは…そのっ…違うんです、あのそのっ…」

 田崎は殿に説明しようとするが、大目玉を食らうかもしれない怖ろしさで明らかに挙動不審だった。

 江田は冷や汗をかきながらそれを補佐した。

「大地之助殿は本日とても眠たかったようで、何度も舟を漕いでいたので倒れてはいけないと横にしようと思いましたら、そのまま田崎の胸で寝てしまいました…」

 おずおずと殿の顔を見上げると、殿は心配そうに大地之助に近寄った。

「…眠い?昼寝はしておったのだろう?もしや体調が悪いのかもしれぬ」

 てっきり『大地之助に触れるな!』と言われる気で覚悟していた江田と田崎は、殿の反応に少し驚いた。

 だがすぐに、お優しくて大地之助殿のことをいつも一番にお考えになる殿らしいなぁ、と思い直した。


 中条が後ろから殿に答えた。

「大地之助殿は今日の昼寝の時間、城下町に下りて父親の兄夫婦と会っていたそうですよ」

「ああ、そうだったのか」

 おじさん家に行くのはいつものことなので、殿は別段気に留めなかった。


「熱はないのかな?」

 田崎の胸で眠る大地之助のおでこに手を当てて、熱を測る殿。江田が口を開いた。

「体調もご気分も悪くはないと思いますよ。殿が帰られる前はいつも通りお元気でしたし、ずっと起きていようと頑張っていましたから」

「そうか…」

 大地之助の寝顔。

 契りを楽しみにして帰ってきたが、気持ち良さそうに安心しきって寝ているその様子を見ると、起こすのが可哀想に思えてくる。

 殿は大地之助の頭を軽く撫でて、その小さな身体を田崎から受けとった。


「あ、私どもがお運びします」

「いい、私が連れていく。襖を開けてくれ」

 軽々と大地之助を抱え上げた殿は、家臣たちの手助けを断り、閨へ向かう。

 殿は大地之助を布団に横たえ、その頬を軽くくすぐった。

 そして、ふっ…と微笑を浮かべて、大地之助を起こさぬようにそーっと隣に寝転ぶ。

「私も今日はこのまま寝るよ。おやすみ」

 殿はそう言って目を閉じた。


 手前の部屋に残された家臣たち。中条が小声で田崎に話しかける。

「お前…腕の中で大地之助殿にすやすや眠ってもらえるなんて、なんてうらやましい!」

「ほんっとそうですよ、あんな無防備で可愛らしい寝顔を間近で見られて…オイシイとこ持ってっちゃいましたよね」

 隣で五代も大きく頷いた。

 嫉妬と羨望のまなざしを向けられて、田崎はたはは、と困ったように笑った。


「いやぁ、寝てしまってからも可愛いのですが、眠気と戦う大地之助殿もまた格別の愛らしさで」

 江田の言葉に中条は少し考えた後、口を開いた。

「明日は私と五代が大地之助殿とここで殿を待つ日だな。…明日もおネムになってくれないかなー…」

 中条は家臣長の割に、少し子どもっぽいところがあった。

 二人の契りを覗き見ようと言い出したのもこの人で、無邪気に願望を口にする。


「でも、毎日契っているお二人です。そうなれば殿が寂しがりますよ」

 そう言う五代に中条がじとっとした視線を寄こす。

「そんなこと言ってるお前だって、楽しみにしてるクセに」

「ぅ…」

 口ごもる五代に、家臣たちはみな殿に悪いと思いながらも、そうなればいいのになぁ…と半ば本気で考えていた。